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本因坊算砂 ほんいんぼう さんさ

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美術人名辞典の解説

本因坊算砂

江戸前期の囲碁棋士。本因坊家初代。京都生。姓名は加納与三郎、号は日海。碁を堺の仙也に学び、抜群の才を示し、織田信長豊臣秀吉徳川家康の三代に仕える。優れた碁技と指導力で碁界の総仕切りをする碁所となり、また権大僧都・法印の位も得、棋士として最高の身分をまっとうした。元和9年(1623)歿、65才。

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デジタル大辞泉の解説

ほんいんぼう‐さんさ〔ホンインバウ‐〕【本因坊算砂】

[1558~1623]安土桃山・江戸初期の僧・囲碁棋士。京都の人。本因坊家の始祖。本姓、加納。幼名、与三郎。日海と称し、寂光寺の塔頭(たっちゅう)本因坊に住んだ。若年から碁・将棋の達人で、織田信長豊臣秀吉徳川家康に仕えた。最初の名人碁所(ごどころ)

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百科事典マイペディアの解説

本因坊算砂【ほんいんぼうさんさ】

囲碁家元本因坊家の祖。初世本因坊(1612年―1623年)。本姓加納。出家して日海と称し,京都寂光寺の塔頭(たっちゅう)〈本因坊〉に住んだ。学名が高かったが,碁,将棋にもすぐれ,織田信長の寵を得た。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

本因坊算砂 ほんいんぼう-さんさ

1558-1623 織豊-江戸時代前期の囲碁棋士。
永禄(えいろく)元年5月生まれ。本因坊初世。日海と称し,京都寂光寺の塔頭(たっちゅう)本因坊にすんだ。碁・将棋の名手で織田信長,豊臣秀吉,徳川家康につかえ,信長から名人と称されたのが名人の呼称のはじまりという。慶長8年本因坊算砂と改名,家康から碁所・将棋所に任じられた。元和(げんな)9年5月16日死去。66歳。京都出身。本姓は加納。
【格言など】碁なりせば劫(こう)なと打ちて生くべきに死ぬるばかりは手もなかりけり(辞世)

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朝日日本歴史人物事典の解説

本因坊算砂

没年:元和9.5.16(1623.6.13)
生年:永禄2.5(1559)
安土桃山・江戸初期の囲碁棋士,初代本因坊。囲碁中興の祖といわれる。京都生まれ,幼名加納与三郎。京都寂光寺の日蓮宗僧侶となり法名を本行院日海。同寺塔頭の本因坊に起居し後年それを本姓とした。囲碁,将棋の技量にすぐれ織田信長,豊臣秀吉,徳川家康の3代から厚遇を受けた。信長に「名人」とたたえられたのが名人の呼称の始まりという。慶長8(1603)年算砂と改名,家康から碁所・将棋所に任ぜられた。将棋所は同17年,初代大橋宗桂に譲る。同12年の算砂と宗桂の将棋対局は日本最古の将棋棋譜とされる。<参考文献>岩本薫『算砂・道碩』(日本囲碁大系)

(谷口牧夫)

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世界大百科事典 第2版の解説

ほんいんぼうさんさ【本因坊算砂】

1558‐1623(永禄1‐元和9)
安土桃山~江戸初期の囲碁名人。1世本因坊。京都寂光寺の開祖日淵の甥にあたる。本姓加納,幼名与三郎。出家して日海と称し,寂光寺の塔頭(たつちゆう)〈本因坊〉に住んだ。日淵から碁の修業の自由を与えられて堺の仙也に碁を学び,将棋も強かったので,碁・将棋の名手として盛名をはせた。織田信長,豊臣秀吉,徳川家康の3代につかえて禄を受け,1603年(慶長8)みずからが住んだ本因坊の名をとって本因坊算砂と改名した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

本因坊算砂
ほんいんぼうさんさ

[生]永禄2(1559).5. 京都
[没]元和9(1623).5.16. 江戸
囲碁名人。旧姓加納。おじの寂光寺開祖日淵について仏門に入るかたわら堺の仙也に碁を学んだ。天正 10 (1582) 年6月本能寺の変前夜に鹿塩利賢 (のちの好敵手利玄坊とは別人) の紹介で織田信長に召し出され,鹿塩との対局で三コウを生じたと伝えられる (→コウ ) 。

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世界大百科事典内の本因坊算砂の言及

【碁】より

…碁の水準もかなりのものだったらしく,明代の弘治年間(1488‐1505)に中国に渡った日本の留学僧虚中の著をもとに棋書《適情録》20巻が本家の中国で出版された事実がある(1524)。しかしなんといっても日本の碁を今日あらしめたのは本因坊算砂の出現であった。算砂は京都寂光寺の塔頭〈本因坊〉に住み,碁技をもって織田信長,豊臣秀吉,徳川家康の3代に仕え,とくに家康の庇護のもとに,江戸期における碁の黄金時代の基礎を固めた。…

【寂光寺】より

…そののち,寺地は洛中を転々し,江戸中期から現在地に移った。当寺が世に注目されるのは囲碁の名人,本因坊1世の算砂(さんさ)日海(本因坊算砂)が出たからである。本因坊は当寺の塔頭の一つ。…

【将棋】より

…なお,駒数の少ない小将棋がゲームの興味を増すために,相手から取った駒を再使用できるルールを確立したのもこのころのこととみなされる。
[江戸時代の将棋]
 戦国時代の武将であった織田信長,徳川家康,豊臣秀頼らは,当時の将棋の上手(じようず)であった本因坊算砂大橋宗桂らを召し出して指させるなど将棋への関心が高かった。徳川幕府が成立した直後に算砂や宗桂は囲碁,将棋の芸人として召しかかえられて,この部門は碁将棋所(ごしようぎどころ)とよばれた。…

【本因坊】より

…江戸時代,幕府の扶持(ふち)を受けた囲碁家元4家の筆頭。京都寂光(じやつこう)寺の塔頭(たつちゆう)〈本因坊〉の僧算砂(本因坊算砂)を祖とする。4世道策(本因坊道策)は布石理論をひっさげて近代碁の基礎を築き,無敵の5世道知とともに本因坊家の優位を不動のものとした。…

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