小幡城跡(読み)おばたじようあと

日本歴史地名大系 「小幡城跡」の解説

小幡城跡
おばたじようあと

[現在地名]茨城町小幡

陸前浜りくぜんはま街道の東、法円ほうえん寺の東約一キロにある。城郭築城後も帯郭を整備するなど幾度か手が加えられたと思われるが、折邪おりひずみや二重の堀を設けるなど、戦国時代の特色を表している。現在、堀と土塁の跡が残り、町指定史跡。

「新編常陸国誌」は「八田知重ノ第三子光重、邑ヲ小幡ニ食ム、因テ小幡ト称ス」という。「水府志料」は小幡村の古城の記事に「小幡中務なるもの、江戸但馬守に殺されし事、常陸国誌に載たり」といい、詳細は不明だが「小堤光明寺の棟木に、小幡道増とありしよし天文五年又小幡の城主なるべき也」などとし、両書とも小田(八田)氏による築城とみる。


小幡城跡
おばたじようあと

[現在地名]守山区小幡 西城

庄内川と矢田やだ川に挟まれた要衝の、小高い丘の上にあった平山城。東西一一〇間・南北四〇間。二重の堀をめぐらしていた。比較的よく遺構が残っている。大永二年(一五二二)に岡田与七郎重篤が築いたと伝えられ、天文四年(一五三五)松平清康尾張に進攻した時ここに駐し、守山城で殺された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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