江戸氏(読み)えどうじ

改訂新版 世界大百科事典 「江戸氏」の意味・わかりやすい解説

江戸氏 (えどうじ)

武蔵常陸で活躍した中世武家。(1)武蔵国豊嶋郡江戸郷を本領とする武家。桓武平氏秩父氏の流れをくみ重継が江戸に住して江戸を称したのに始まる。武蔵国南西部の雄族で,重継の子重長が源頼朝の麾下きか)に参じてから重用され,重長は武蔵国衙の指揮を任されている。畠山氏が滅んだ後は武蔵国随一の武家となり,嫡庶流が武蔵国各地に分領して自立したほか,承久新補の地頭として重持が出雲国安田荘に下向している。その後,幕府滅亡に前後して足利氏に従い,さらに関東公方の支配下に入ったが,1368年(正平23・応安1)の平一揆の乱に参加して処罰をうけ,惣領家は没落する。しかしその後も庶流の木田見(喜多見)流江戸氏は吉良氏家臣として活躍し,後北条氏滅亡後徳川氏に仕えて御家人となり,1689年(元禄2)罪を得て収公されるまで武蔵国喜多見を領した。他の庶流では,享徳の大乱で衰えながらも後北条氏の臣下に加わり,近世まで残った蒲田流江戸氏などが知られている。(2)常陸国江戸郷を本領とする武家。藤原秀郷の末流で同国那珂郷に住んで那珂氏を称した一族のうち,南北朝時代に北朝佐竹氏に従った通泰が江戸郷を恩給され,その子通高が江戸を称したのに始まる。上杉禅秀の乱による大掾氏の没落や佐竹・山入両氏の抗争に乗じて勢力を伸ばし,佐竹領を侵し南郡にも進出した。1510年(永正7)すでに山入氏を滅ぼして佐竹領国を統一した佐竹義舜との間に結ばれたいわゆる一家同位の盟約は,南北朝以来の江戸氏の発展を集約的に示しているが,佐竹・江戸両氏の対立もこのころから顕在化し,47年(天文16)最初の武力衝突をおこす。4年後和しその後の北条・上杉対立期にも佐竹氏旗下にあったが,豊臣秀吉の関東進出に際して佐竹氏がいちはやく秀吉に参じたのに対し,江戸氏は常陸にとどまったため,佐竹氏の攻撃をうけ居城水戸城は落城する。しかし当主の重通は結城に落ちのび,末流は水戸を称して結城氏に仕えた。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「江戸氏」の意味・わかりやすい解説

江戸氏
えどうじ

(1)桓武平氏(かんむへいし)秩父(ちちぶ)氏から出る武蔵国(むさしのくに)の武家。同国豊島(としま)郡江戸(東京都の中央部)を本拠とし、重継(しげつぐ)のとき江戸氏を称す。その子重長(しげなが)が源頼朝(みなもとのよりとも)に従い、以後鎌倉幕府御家人(ごけにん)。幕府滅亡後は足利尊氏(あしかがたかうじ)に属し、室町期には扇谷(おうぎがやつ)上杉氏に仕え、江戸から多摩(たま)郡木多見(きたみ)(東京都世田谷区喜多見(きたみ))に移る。戦国期には世田谷吉良(きら)氏に仕え、のち小田原北条氏に属す。北条氏滅亡後は徳川氏に仕え、喜多見氏と改称。1681年(天和1)喜多見で1万石を与えられ大名となるが、8年後に除封、廃藩。

(2)藤原秀郷(ふじわらのひでさと)の子孫那珂(なか)氏より出る常陸国(ひたちのくに)(茨城県)の武家。南北朝期に那珂通泰(みちやす)が足利尊氏に属して那珂郡江戸郷(同県那珂市)を与えられ、その子通高(みちたか)が江戸氏を称す。室町初期、上杉禅秀(ぜんしゅう)の乱(1416)ののちに通房(みちふさ)が大掾(だいじょう)氏を追って水戸城に入り、以後ここを拠点に南北に勢力を拡大。戦国期には一時守護家の佐竹氏と比肩する力をもつが、1590年(天正18)佐竹氏に追われて結城(ゆうき)氏を頼り、結城秀康(ひでやす)に仕えて越前(えちぜん)福井に移り水戸(みと)氏と改称。通房の子通治(みちはる)(庶家)の子孫は佐竹氏に仕えて、秋田に移ったのちも江戸氏を称した。

[池上裕子]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「江戸氏」の意味・わかりやすい解説

江戸氏
えどうじ

(1) 平良文の子孫で武蔵の豪族。重継のとき武蔵江戸に住し江戸氏を称した。その子江戸太郎重長は一族河越氏,畠山氏とともに源頼朝に仕えて御家人となり,子孫代々鎌倉幕府に仕えた。のちに多摩郡喜多見に移り,のち北条氏,徳川氏に仕え,喜多見と称した。天和3 (1683) 年,喜多見藩主となったが,元禄2 (89) 年除封。 (2) 藤原秀郷の子孫で常陸の豪族。那珂郡河辺郷に住し,通資のとき那珂氏を称した。通泰のとき,足利尊氏に従って戦功があり,那珂郡江戸郷を領し,その子通高のときから江戸氏を称した。その孫通房は上杉禅秀の乱ののち,水戸地方に勢力を築き,天正 18 (1590) 年に重通が佐竹義宣に追放されるまで存続。

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旺文社日本史事典 三訂版 「江戸氏」の解説

江戸氏
えどし

①武蔵の土豪出身の大名
②室町〜江戸時代にかけて常陸 (ひたち) (茨城県)に活躍した氏族
桓武平氏の平良文の孫将常が秩父に住んで秩父氏と称したのに始まり,玄孫重継が江戸に移って江戸氏と称した。その子重長のとき鎌倉殿の御家人となり,室町時代には多摩郡喜多見に移り,後北条氏,ついで徳川氏に仕えた。のち喜多見藩1万石を領したが1689(元禄2)年除封された。
藤原秀郷を祖とし,通泰が足利尊氏に属して功を立て,常陸那珂郡江戸郷を与えられ,その子通高から江戸氏を称した。15世紀,水戸地方に進出して勢力を築いたが16世紀末佐竹氏に追われ,のち徳川家康に仕えて水戸氏と改称した。

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世界大百科事典(旧版)内の江戸氏の言及

【江戸城】より

…江戸城の発端は,12世紀初めごろ江戸重継が,荏原郡桜田郷の北東部,江戸湾に臨む台地上に設けた居館で,その場所は近世江戸城の本丸台地上と推定されている。江戸氏の子孫が多くの庶流に分かれて勢力が衰えたあと,室町時代の1457年(長禄1)に関東管領扇谷上杉氏の家宰太田資長(道灌)がこの地に築城した。道灌の江戸城には子城,中城,外城の3郭があり,各郭は周囲に土塁を巡らし,郭と郭の間には空濠を設けた。…

【常陸国】より

…15世紀,このように続いた戦乱によって,常陸の諸勢力の浮沈も著しかった。
[戦国時代]
 そのような中から,新しく勢力を蓄えて登場する江戸氏,同族山入氏との内紛に苦慮しつつも勢力を保持し続けてきた佐竹氏,府中にあってかろうじて国の中央部を支配してきた大掾氏,鹿島・行方両郡に地盤を保ち続けてきた常陸平氏庶流の諸氏,筑波南麓を中心に依然存在し続ける小田氏などが,戦国期の常陸国の動向に関係する勢力である。加えて下総の結城氏の戦国大名化の動きも,常陸国へ大きな影響を及ぼしてくる。…

※「江戸氏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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