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小幡城 おばたじょう

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日本の城がわかる事典の解説

おばたじょう【小幡城〈茨城県〉】

茨城県東茨城郡茨城町にあった室町時代の平山城(ひらやまじろ)。同町指定史跡。1417年(応永24)に常陸大掾(だいじょう)詮幹の三男の義幹が築いたとも、鎌倉時代に小田知重の三男光重が築いたともいわれるが、詳細は不明。室町時代には大橡氏の持ち城だったが、1481年(文明13)に小田氏と大掾氏の連合軍が合戦で江戸通雅に敗れ、江戸氏の持ち城となり、その後府中城の大掾氏を攻略するための拠点として整備された。豊臣秀吉の小田原北条氏攻めの後、佐竹氏は秀吉から常陸54万石の所領を安堵されたが、その際、水戸城を居城としていた江戸氏が開城の要求を拒んだために、佐竹義宣が水戸城を攻め落城させた。その後間もなく小幡城も落城し、以後佐竹氏の支城となった。しかし、関ヶ原の戦いの後、佐竹氏が秋田に転封となった際に廃城となった。現在、城跡には曲輪(くるわ)、空堀、土塁、土橋、井戸などが良好な保存状態で残っている。JR常磐線石岡駅からバスで茨城桜本(終点)下車、徒歩約15分。

おばたじょう【小幡城〈愛知県〉】

愛知県名古屋市守山区にあった平山城(ひらやまじろ)。東西200m、南北72mの城で、二重の堀がめぐらされていたといわれる。1522年(大永2)、織田敏信・信安(尾張下四郡の守護代)に属した岡田重篤が築城した城である。重篤は同城を居城としたが、その後間もなく星崎城を築き、居城を移した。1535年(天文4)、岡崎城(岡崎市)の松平清康徳川家康の祖父)は尾張へ攻め入り小幡城に入城し、その後、織田信秀の弟信光の守る守山城(名古屋市守山区)を攻めた。その城攻めの最中、大手門付近で家臣の阿部弥七郎正豊に暗殺された。これが森山崩れで、三河統一を目前にした清康の死により、多くの三河の国人が松平氏から離反してその勢力は大きく後退した。この事件後、小幡城は信光の居城となった。1555年(弘治1)、信光は那古野城中で不慮の死を遂げ、これにより城主を失った小幡城は一時期廃城となった。豊臣秀吉と徳川家康が戦った1584年(天正2)の小牧・長久手の合戦に際し、家康は小幡城跡を修復・整備した。家康は池田恒興・森長可率いる豊臣方の別働隊を破った後、この城に入城した。その後、別働隊の救援のために秀吉の本隊が龍泉寺城(守山区)に駆けつけたが、その時、家康は小牧の本陣に戻った後だった。そこで豊臣方は小幡城を徹底的に焼き払ったといわれる。この戦いの後、小幡城は廃城となった。現在、城跡にはわずかに堀、土塁跡の遺構が残っている。JR中央本線守山駅から徒歩約20分。または名鉄瀬戸線小幡駅から徒歩約20分。

出典|講談社
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