小松均(読み)コマツ ヒトシ

20世紀日本人名事典 「小松均」の解説

小松 均
コマツ ヒトシ

昭和期の日本画家 日本美術院評議員。



生年
明治35(1902)年1月19日

没年
平成1(1989)年8月23日

出生地
山形県亀井田村深堀(現・大石田町豊田)

本名
小松 匀

学歴〔年〕
川端画学校卒

主な受賞名〔年〕
国画創作協会展国画賞〔大正15年〕,帝展特選〔昭和5年〕「くぬ木林」,日本美術院賞〔昭和21年〕「牡丹」,院展文部大臣賞〔昭和40年〕「夏山」,芸術選奨文部大臣賞〔昭和50年〕「最上川」,院展内閣総理大臣賞〔昭和54年〕「雪の最上川」,勲四等旭日小綬章〔昭和55年〕,文化功労者〔昭和61年〕,関西大賞大画仙賞(第2回)〔昭和62年〕,サンケイ児童出版文化賞美術賞(第35回)〔昭和63年〕「ぼくの むら」

経歴
幼時に父を失い、極貧に育つ。18歳の時、単身上京。19歳で川端画学校へ入り龍子に学び、国展の出品作が土田麦僊に認められる。大正の末に京都に移住大原自給自足の生活を続けた。昭和3年以来帝展に出品し、特選1回入選7回。戦後は日本美術院同人に推挙され、「最上川」や「富士」の連作を続けた。平成2年京都市の遺邸に小松均美術館が開館した。評伝田中日佐夫画人・小松均の生涯」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小松均」の解説

小松均 こまつ-ひとし

1902-1989 昭和時代の日本画家。
明治35年1月19日生まれ。国画創作協会の土田麦僊(ばくせん)にまなぶ。昭和3年福田豊四郎らと新樹社を結成。5年帝展で「くぬ木林」が特選。水墨による独自の風景画を院展に出品し,21年日本美術院賞。代表作は連作「最上川」。61年文化功労者。平成元年8月23日死去。87歳。山形県出身。川端画学校卒。本名は勻。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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