小沼正(読み)オヌマ ショウ

20世紀日本人名事典 「小沼正」の解説

小沼 正
オヌマ ショウ

昭和期の右翼活動家 血盟団事件関係者。



生年
明治44(1911)年12月29日

没年
昭和53(1978)年1月17日

出生地
茨城県那珂郡平磯町(現・那珂湊市)

別名
後名=小沼 広晃

学歴〔年〕
高小卒

経歴
大工徒弟の後、上京して染物屋や菓子屋の小僧をし昭和5年帰郷。小学校訓導の古内栄司(後血盟団員)の紹介で、当時、大洗海岸の護国堂に籠っていた井上日召に会い、日蓮信仰と社会革新思想を抱くようになる。日召は血盟団を組織、6年の“十月事件”で陸軍軍人らの革新意図に不信を抱き、政・財界首脳の“一人一殺”を企図するに至った。小沼は7年2月9日、東京本郷で前蔵相・井上準之助拳銃で射殺した(血盟団事件)。8年に無期懲役となったが、15年恩赦で仮出所。戦後は「業界公論」などを刊行、右翼運動に従事した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「小沼正」の意味・わかりやすい解説

小沼正 (おぬましょう)
生没年:1911-78(明治44-昭和53)

〈血盟団〉団員。茨城県出身。尋常小学校高等科卒業後,大工の徒弟,上京して染物店,製菓工場などで働くうちに資本主義と左翼とに反発を抱く。1930年,小学校訓導古内栄司らの勧誘により日蓮宗信者となり,井上日召の影響をうけて,政財界要人の暗殺により〈国家改造〉の“捨石”たらんとする〈血盟団〉に参加。1932年2月9日,井上準之助前蔵相を拳銃で殺害血盟団事件)。無期懲役に処されたが,40年仮出所。著書に《一殺多生》がある。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小沼正」の解説

小沼正 おぬま-しょう

1911-1978 昭和時代国家主義者
明治44年12月29日生まれ。昭和5年井上日召(にっしょう)を知って立正護国堂にはいり,日蓮信仰と国家革新の思想をまなぶ。血盟団の一員として,7年前蔵相井上準之助を射殺し無期懲役となる。15年仮出所し,29年業界公論社社長。昭和53年1月17日死去。66歳。茨城県出身。別名は広晃。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「小沼正」の解説

小沼 正 (おぬま しょう)

生年月日:1911年12月29日
昭和時代の右翼活動家
1978年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の小沼正の言及

【血盟団事件】より

井上日召を盟主とする一団によるファッショ的〈国家改造〉をめざすテロ事件。1932年2月9日,前大蔵大臣井上準之助が,3月5日には三井合名理事長団琢磨が,それぞれ小沼正,菱沼五郎によってピストルで射殺され,犯人逮捕から,政財界要人20余人の暗殺計画が明らかになった。この血盟団の首謀者井上日召は,1920年代後半,支配階級の腐敗,農村の窮乏,社会主義思想の影響の広がりに危機感を抱き,1928年以後,茨城県磯浜(現,大洗町)の立正護国堂にこもり,〈国家改造〉への決意を固め,付近の小学校教員,農村青年を同志に獲得。…

※「小沼正」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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