小船村(読み)おぶねむら

日本歴史地名大系 「小船村」の解説

小船村
おぶねむら

[現在地名]津市小舟おぶね

穴倉あなくら川が安濃あのう川へ合流する付近の低地にあり、殿との村の北に隣接する。文禄検地帳を転写したと思われる伊勢国中御検地高帳には「小舟江之郷」と記し、慶安郷帳(明大刑博蔵)には「小舟村」と記す。安濃郡条里の八条ないし九条と推定され、条里地割を残すところが多く、寛文二年(一六六二)検地帳(櫛形小学校郷土史所収)の字名に八条・六ノ坪・五ノ坪・四ノ坪がみえる。中世には神宮へ上分米を納めていたようで、「神鳳鈔安西あんさい郡の項に「内宮小船別名三斗」と載せられている。


小船村
おぶねむら

[現在地名]若桜町小船

大野おおの村枝郷寺前てらまえに続く八東はつとう川沿いの村で、若桜往来が通る。天文八年(一五三九)一二月吉日の檀那引付(肥塚家文書)に「おふねのはし田」がみえ、同一四年二月吉日の檀那村付帳(同文書)には「おふね村内 なぬしやと」とあり、村内二六名の名前が書上げられている。若桜往来(播州道)筋の村として広峯ひろみね神社(現兵庫県姫路市)の信仰がこの頃には広く浸透していたようである。


小船村
おぶねむら

[現在地名]小田原市小船

東北端を中村なかむら川が流れ、北は小竹おだけ村、南は中村原なかむらはら、西は上町かのまち村、沼代ぬましろ村に接する。中ほどを大山道が通る。寛永元年(一六二四)の年貢割付帳(船津文書)に「小船村」とみえる。「風土記稿」によれば、字きしは永禄五年(一五六二)九月六日小田原城内にあった本光ほんこう寺に寄進された「沼代之村岸分」(「北条家朱印状写」県史三)とされる。


小舟村
こぶねむら

[現在地名]緒川村小舟

村の南北に小舟富士などの山がある。西の大岩おおいわ村から流れる小舟川は油河内ゆごうと川を合せて東へ流れ、東の上小瀬かみおせ村へ入り、村内を那須街道が東西に通る。

年不詳の佐竹義篤書状(大縄文書)に「小舟之者」とみえ、また文禄五年(一五九六)の御蔵江納帳(秋田県立図書館蔵)には「小舟」とある。寛永一二年(一六三五)の水戸領郷高帳先高に「小舟村」とみえ、天保郷帳には「小船村」と記される。「水府志料」によると戸数およそ九三。天保一三年(一八四二)には一〇二戸となる。同書に「水戸より馬頭黒羽への往来也。産物西野内紙あり」と記され、西ノ内紙の生産が盛んであった。


小船村
こぶねむら

[現在地名]紀和町小船

花井けい村の南、北山川の下流にあり、当村の南端で北山川と十津とつ川が合流して熊野川(新宮川)となる。中世は花井庄の内であったと考えられる。慶長六年(一六〇一)の検地帳(徳川林政史蔵)に「川合村之内小船村」とある。川合かわい村は新宮領で敷屋組に属し、寛文六年(一六六六)宮井みやい相須あいす(現和歌山県熊野川町)と当村の三ヵ村に分れた(紀伊続風土記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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