若桜町(読み)わかさちよう

日本歴史地名大系 「若桜町」の解説

若桜町
わかさちよう

面積:一九九・三一平方キロ

八頭郡の東端に位置し、西は岩美いわみ国府こくふ町、八東はつとう町・智頭ちず町、南は岡山県英田あいだ西粟倉にしあわくら村、兵庫県穴粟しそう千種ちくさ町、東から北は同郡波賀はが町、同県養父やぶ大屋おおや町・関宮せきのみや町、同県美方みかた郡美方町・温泉おんせん町。中国山地の脊梁部にあたり、温泉町・国府町八東町との境におうぎノ山(一三〇九・九メートル)、智頭町との境に鳴滝なるたき(一二八七・三メートル)とう(一三八八メートル)、美方町・関宮町との境にひようノ山(現在の国土地理院地形図には赤倉山と記される)、関宮町・大屋町との境には須賀すがノ山(一五一〇メートル。現在の地形図には氷ノ山・須賀ノ山と併記される)、千種町・波賀町との境に三室みむろ(一三五八メートル)などがそびえ、町域内にも陣鉢じんぱち(一二〇七メートル)、くらます(一二八二・一メートル)など一〇〇〇メートルを超える山があり、町域の九五パーセント近くが山林地帯である。集落は南東から北西へ流下する八東川とその支流の谷間に散在し、ほとんどが山村。わずかに舂米つくよね川・屋堂羅やどうら川・三倉みくら川・来見野くるみの川を合せる辺りの八東川沿いに平地があるにすぎない。町域東部の山岳地帯はひよう山後山那岐山せんうしろやまなぎさん国定公園に含まれ、来見野川沿いに谷を登り詰め扇ノ山に至る道は中国自然歩道の一部をなす。主要交通路は波賀町から戸倉とくら(現在は戸倉トンネル)を越えて八東川沿いに走る国道二九号。この道は近世以前から播磨と因幡を結ぶ幹線で、若桜往来・八東往来・播州往来などとよばれた。八頭郡の中心郡家こおげ町へは若桜鉄道(旧国鉄若桜線)も通る。そのほか県道若桜―温泉線、同村岡むらおか―若桜線、同若桜―南光なんこう線などがある。

縄文―弥生時代の遺跡で調査されたものはなく、古墳も二、三存在するにすぎない。古代には八上やかみ郡に属し、同郡若桜郷(和名抄)が若桜一帯に比定される。


若桜町
わかさまち

[現在地名]鳥取市若桜町

ほん町一丁目の南東に続く両側町で上魚かみうお町の南西にあたる。元和五年(一六一九)城下町拡張に伴う町割のとき、町人地四〇町のうち上構二〇町の一町として起立された(因幡志)。町名の由来は、当地北西は八東はつとう若桜宿(現若桜町)への往来筋に面するので若桜海道と通称されたが、しだいにこの往来を利用する者が少なくなったため海道の名称は廃れ、若桜の地名が町の名として残ったものという(鳥府志)。寛永一一年(一六三四)の竈数二三(因幡志)、安永七年(一七七八)の家数七六、表口間数合せて一二八間余、うち諸役御免の屋敷分計六間半。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「若桜町」の意味・わかりやすい解説

若桜〔町〕
わかさ

鳥取県東部,八東川上流域にある町。氷ノ山の西麓を占める。 1909年町制。 54年池田村と合体。中心集落の若桜は南北朝時代矢部氏が鶴尾城を築城,以来城下町,若桜街道宿場町として繁栄。古くから林業が盛んで,因幡木地屋の本拠地として知られる。スギの美林に恵まれ,製材業が発達。不動院岩屋堂は重要文化財。東部の舂米 (つくよね) ,落折は平家村と伝えられる。町域の一部は氷ノ山後山那岐山国定公園に属する。国道 29号線,482号線が通る。面積 199.18km2。人口 2864(2020)。

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