小野玄妙(読み)おのげんみょう

精選版 日本国語大辞典 「小野玄妙」の意味・読み・例文・類語

おの‐げんみょう【小野玄妙】

  1. 浄土宗の僧。仏教美術研究し、「仏教文化を中心とする東洋史の研究」「仏教之美術歴史」などを著わす。また「大正新修大蔵経」を編集。明治一六~昭和一四年(一八八三‐一九三九

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20世紀日本人名事典 「小野玄妙」の解説

小野 玄妙
オノ ゲンミョウ

大正・昭和期の仏教学者,僧侶(浄土宗) 高野山大学教授。



生年
明治16(1883)年2月28日

没年
昭和14(1939)年6月27日

出生地
神奈川県横浜市中区洲干町

旧姓(旧名)
小野 金次郎

別名
号=二楞学人

学位〔年〕
文学博士(京都帝大)〔昭和7年〕

経歴
13歳で鎌倉光明寺に入り浄土宗僧侶となった。明治38年に「仏教年代考」を著し、望月信亨博士の下で「大日本仏教全書」「仏教大辞典」の編纂に従事、大正12年高楠順次郎博士の「大正新修大蔵経」の編纂主任も務めた。一方、7年宗教大学(現・大正大学)教授、昭和3年より高野山大学教授、4年東洋大学教授として密教学を講じた。11年には「仏書解説大辞典」をまとめ同12巻総論を著し、「南伝大蔵経」「真言宗全書」の刊行を援け、「清朝実録」の影印を出版した。また仏教美術史の研究では「仏教之美術及美術史」「仏教美術概論」「健駄邏の仏教美術」「画図解説仏教美術講話」「大乗仏教芸術史」などを著した。さらに中国五台山の霊跡巡礼、日本内地、朝鮮各地の仏像、蔵経を調査し、「仏像概説」「仏教の美術と歴史」「仏教神話」、「小野玄妙仏教芸術著作集」(全10巻・別巻1 開明書院)などの著書もある。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「小野玄妙」の意味・わかりやすい解説

小野玄妙
おのげんみょう
(1883―1939)

明治~昭和初期の仏教学者、浄土宗の僧。二楞学人(にりょうがくじん)と号す。幼名は金次郎。横浜に生まれ、14歳のとき鎌倉の光明寺(こうみょうじ)で得度し、宗教大学に学ぶ。帝国美術院の委嘱により大分・佐賀両県の石仏調査をはじめ、中国五台山の霊蹟(れいせき)を巡り、仏教美術の研究に優れた成果を残した。1923年(大正12)から『大正新修大蔵経(たいしょうしんしゅうだいぞうきょう)』編纂(へんさん)主任となり、また『仏書解説大辞典』『南伝大蔵経』『清朝(しんちょう)実録』の刊行に尽くした。1932年(昭和7)文学博士の学位を得、文部省国宝調査委員、高野山(こうやさん)大学教授などを歴任。昭和14年6月27日、脳溢血(のういっけつ)で急逝した。著書は『仏教之美術及歴史』『仏教美術概論』『仏像の研究』『大分の石仏に就(つい)て』『健駄邏(ガンダーラ)の仏教美術』『五台山写真集』『大乗仏教芸術史の研究』など多数がある。

[櫻井秀雄 2017年5月19日]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小野玄妙」の解説

小野玄妙 おの-げんみょう

1883-1939 大正-昭和時代前期の仏教学者。
明治16年2月28日生まれ。浄土宗の僧。「大正新脩大蔵経」の編集主任となり,また「仏書解説大辞典」を編集。仏教美術も研究し,「大乗仏教芸術史の研究」「仏教美術概論」などをあらわした。文部省国宝調査委員,高野山大教授などを歴任。昭和14年6月27日死去。57歳。神奈川県出身。俗名は金次郎。号は二楞学人。

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367日誕生日大事典 「小野玄妙」の解説

小野 玄妙 (おの げんみょう)

生年月日:1883年2月28日
大正時代;昭和時代の僧侶;仏教学学者。文学博士;高野山大学教授
1939年没

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