尾上菊五郎(3代)(読み)おのえ・きくごろう

朝日日本歴史人物事典 「尾上菊五郎(3代)」の解説

尾上菊五郎(3代)

没年嘉永2.閏4.24(1849.6.14)
生年天明4(1784)
文化文政期の歌舞伎役者。俳名梅幸。江戸の建具屋に生まれ,初代尾上松助の養子となり,尾上栄三郎の名で初舞台。文化5(1808)年の鶴屋南北作「彩入御伽草」で父松助の代役を勤めて大当たりを取り,翌年「阿国御前化粧鏡」の天竺徳兵衛,累を演じて注目された。以後「心謎解色糸」のお祭り左七,「絵本合法衢」のうんざりお松,「仮名手本忠臣蔵」の勘平,「伊勢音頭恋寝刃」の福岡貢などの当たり役を得た。文化12年3代目菊五郎を襲名したころから座頭格となり,「浮世柄比翼稲妻」の名古屋山三,「法懸松成田利剣」の累などを経て,文政8(1825)年南北の傑作「東海道四谷怪談」でお岩など3役を演じ,生涯の当たり役とした。名優の名をほしいままにしたのち弘化4(1847)年引退後も,大川橋蔵の名で再び舞台に立ち,66歳で没した。父の衣鉢を受け怪談物の早替わりを得意にし,和事,実事によく,容貌風姿に優れて女形もできたが,踊りは不得意だった。当たり役はほかに「菅原伝授手習鑑」の菅丞相,桜丸,「義経千本桜」の権太,「加賀見山」の岩藤,お初など。役柄,演技研究に熱心だったが,自負心が強すぎ,人と争い,作品に口出ししたのは惜しまれる。<参考文献>伊原敏郎『近世日本演劇史』,井草利夫『近世劇文学便覧』

(井草利夫)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「尾上菊五郎(3代)」の解説

尾上菊五郎(3代) おのえ-きくごろう

1784-1849 江戸時代後期の歌舞伎役者。
天明4年2月生まれ。初代尾上松助の養子となる。天明8年初舞台。初代栄三郎,2代松助,3代梅幸をへて,文化12年3代菊五郎を襲名。立役(たちやく),実悪,女方をかねた。当たり役に「四谷怪談」のお岩,「忠臣蔵」の勘平など。嘉永(かえい)2年閏(うるう)4月24日死去。66歳。後名は初代大川橋蔵。屋号音羽屋

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