朝日日本歴史人物事典 「尾上菊五郎(3代)」の解説
尾上菊五郎(3代)
生年:天明4(1784)
文化文政期の歌舞伎役者。俳名梅幸。江戸の建具屋に生まれ,初代尾上松助の養子となり,尾上栄三郎の名で初舞台。文化5(1808)年の鶴屋南北作「彩入御伽草」で父松助の代役を勤めて大当たりを取り,翌年「阿国御前化粧鏡」の天竺徳兵衛,累を演じて注目された。以後「心謎解色糸」のお祭り左七,「絵本合法衢」のうんざりお松,「仮名手本忠臣蔵」の勘平,「伊勢音頭恋寝刃」の福岡貢などの当たり役を得た。文化12年3代目菊五郎を襲名したころから座頭格となり,「浮世柄比翼稲妻」の名古屋山三,「法懸松成田利剣」の累などを経て,文政8(1825)年南北の傑作「東海道四谷怪談」でお岩など3役を演じ,生涯の当たり役とした。名優の名をほしいままにしたのち弘化4(1847)年引退後も,大川橋蔵の名で再び舞台に立ち,66歳で没した。父の衣鉢を受け怪談物の早替わりを得意にし,和事,実事によく,容貌と風姿に優れて女形もできたが,踊りは不得意だった。当たり役はほかに「菅原伝授手習鑑」の菅丞相,桜丸,「義経千本桜」の権太,「加賀見山」の岩藤,お初など。役柄,演技の研究に熱心だったが,自負心が強すぎ,人と争い,作品に口出ししたのは惜しまれる。<参考文献>伊原敏郎『近世日本演劇史』,井草利夫『近世劇文学便覧』
(井草利夫)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報