山下亀三郎(読み)ヤマシタ カメサブロウ

20世紀日本人名事典 「山下亀三郎」の解説

山下 亀三郎
ヤマシタ カメサブロウ

明治〜昭和期の実業家 山下汽船創立者。



生年
慶応3年4月9日(1867年)

没年
昭和19(1944)年12月13日

出生地
愛媛県宇和島喜佐方

学歴〔年〕
明治法律学校(現・明治大学)中退

経歴
明治17年に上京後、学生時代の放蕩生活の中で岩崎弥太郎らの豪遊ぶりを知り、実業界入りを志して退学、横浜で船会社向けの石炭販売業を始める。36年には喜佐丸を買って海運業に乗り出し、海軍の仕事を引き受けて折からの日露戦争による軍需景気で大もうけする。その後、何回か破産したが、海軍のバックアップ東南アジアを中心に不定期船を運航し、大正6年山下汽船(現・ナビックスライン)を設立、不定期船王と呼ばれる船成金となった。著書に「沈みつ浮きつ」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「山下亀三郎」の意味・わかりやすい解説

山下亀三郎
やましたかめさぶろう
(1867―1944)

大正・昭和前期の実業家。愛媛県の庄屋(しょうや)の三男として生まれる。明治法律学校(現明治大学)中退後、商店奉公をしたのち独立、石炭商を営んだ。しかし、船舶に強くあこがれ、海運業に転換。日露戦争時にその持ち船が徴用されたことで創業時の困難を乗り越えた。第一次世界大戦時の海運景気のなかで著しく業績を伸ばし、船成金の代表の一人と称された。大戦後の不況期には一時低迷したが積極的に航路を拡大し、日本でも最大級の不定期船業者に成長した。1937年(昭和12)山下汽船社長。本業の海運業のほか浦賀船渠(ドック)など多数の会社の役員を兼任する一方、山下高等女学校を設立するなど、教育にも関心を示した。

[柴 孝夫

『山下亀三郎著『沈みつ浮きつ』(1943・四季社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山下亀三郎」の解説

山下亀三郎 やました-かめさぶろう

1867-1944 明治-昭和時代前期の実業家。
慶応3年4月9日生まれ。海運業に進出し,明治44年山下汽船(現ナビックスライン)を創立。第一次大戦を機に外国航路に進出するなどして業績をのばす。昭和18年東条内閣顧問。昭和19年12月13日死去。78歳。伊予(いよ)(愛媛県)出身。明治法律学校(現明大)中退。自伝に「沈みつ浮きつ」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「山下亀三郎」の解説

山下 亀三郎 (やました かめさぶろう)

生年月日:1867年4月9日
明治時代-昭和時代の実業家
1944年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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