山小屋村(読み)やまごやむら

日本歴史地名大系 「山小屋村」の解説

山小屋村
やまごやむら

[現在地名]北茨城市関本せきもと富士ふじおか

大部分が山で、東流する里根さとね川が山を出た所に段差のある平地が開ける。東は関本上せきもとかみ村で、平方ひらかた街道が中央を東西に走る。

常陸国赤浜妙法寺過去帳の天正八年(一五八〇)に「妙了霊八十六ヤマコヤ」とみえる。文禄四年(一五九五)岩城領検地目録(静嘉堂文庫蔵)には「七百八石九斗四升七合 (関本ノ内)山小屋村」とある。明治五年(一八七二)村差出帳(富士ヶ丘区有文書)には東西二里五丁・南北三〇丁、戸数七九・人数三六七、牛一一三・馬五、「野□下山車郷と御領内村々入会之場所ニ御座候。くぬけほふつき久保山車郷と当村入会ニ柴刈敷かり取場ニ御座候」とある。広大な山林は周辺村々の重要な採草地であった。

山小屋村
やまごやむら

[現在地名]玉川村山小屋

阿武隈高地の起伏が厳しさを増す山間地に位置し、ほとんど山林が占める。西は北須釜きたすがま村。文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録では高一一六石余。寛永四年(一六二七)以降白河藩領、寛保元年(一七四一)幕府領となり幕末に至る。白河古領村郷高帳による高二二〇石余。寛保二年の村明細帳(我妻家文書)では家数二五、ほかに真言宗長寿ちようじゆ(明治三年廃寺)がある。旧高旧領取調帳では高二一二石余。当村の鎮守南須釜村都々古別つつこわけ神社であるが、地域神として字二本椚にほんくぬぎに藤原鎌足を祭神とする鎌足かまたり神社が祀られる。大寺おおでら城の城主大寺清光の家老大野修理は南須釜の千五沢せんござわ館主で、やま新田の川平かわだいら館主の円谷外記と計り、天正八年(一五八〇)磐城口と田村口の防護固めとして中宿なかじゆく(現須賀川市)岩瀬森いわせもりに鎮座する鎌足神社から勧請、当村の地域神としたと伝えられる。

山小屋村
やまごやむら

[現在地名]いわき市四倉町よつくらまち上岡かみおか

仁井田にいだ川上流にあり、南は駒込こまごめ村、東は八茎やぐき村、西は柴原しばはら村。磐城郡に属した。近世領主変遷は磐城平藩領から延享四年(一七四七)幕府領、寛延二年(一七四九)常陸笠間藩領、安永六年(一七七七)幕府領、翌七年磐城平藩預、寛政二年(一七九〇)以降笠間藩領。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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