山本滝之助
やまもとたきのすけ
(1873―1931)
明治~昭和初期の社会教育家。青年団(青年会)運動の提唱・推進者。明治6年11月15日広島県沼隈(ぬまくま)郡草深(くさぶか)村(現、福山(ふくやま)市)に生まれる。小学校卒業後、小学校教員などを勤めながら、1890年(明治23)村の青年有志で「好友会」をつくり、青年団運動を開始。1896年『田舎(いなか)青年』を自費出版したのをはじめ、著述や講演によって、学生など都会の青年に伍(ご)しての農村青年の自覚と向上を目的として青年会の設立を主張した。従来の「若連中」などの農村の青年組織が娯楽中心であったのを改善し、青年会による夜学会、農事学習、共同作業、運動会などを通して風俗改良や実践道徳の振興に資することを図った。こうした活動や主張は当時の内務省や文部省の農村青年統合の方針とも合致して、各地の青年団や1925年(大正14)の大日本連合青年団の結成を促した。昭和6年10月26日没。
[青木哲夫]
『熊谷辰治郎編『山本滝之助全集』全1巻(1931/復刻版・1985・日本青年館)』
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山本 滝之助
ヤマモト タキノスケ
明治〜昭和期の地方青年団運動指導者,教育家
- 生年
- 明治6年11月15日(1873年)
- 没年
- 昭和6(1931)年10月26日
- 出生地
- 広島県沼隈郡千年村大字草深(現・沼隈町)
- 学歴〔年〕
- 草深小学校中等科卒
- 主な受賞名〔年〕
- 勲六等瑞宝章〔昭和3年〕
- 経歴
- 明治22年郷里の小学校代用教員となり、23年地域の青年の学習会・好友会を組織し、地域青年会の組織化を訴える。29年「田舎青年」を著わし注目された。のち小学校長、実科補習学校長などを務める傍ら、地域青年会全国組織化に尽力。内務省や文部省の農村青年統合の方針とも合致して、各地の青年団や大日本連合青年団の結成を促した。大正10年教職を去り、日本青年館評議員を務め、13年から巡回青年講習所を始めた。“青年団の父”と呼ばれる。著書に「山本滝之助全集」(全1巻)などがある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
山本滝之助 (やまもとたきのすけ)
生没年:1873-1931(明治6-昭和6)
社会教育家。明治20年代から昭和初期にかけて,地域青年団体の育成指導につとめ,全国的青年組織の設立にも尽力した。青年団の父と呼ばれる。広島県沼隈郡千年村に生まれ,同村小学校長等を経て大正期には日本青年館評議員を務めた。1896年に日本最初の青年団論といわれる《田舎青年》を著したが,そこでは地方自治の担い手として農村青年が奮起し,自主的青年団を組織することを提唱した。しかし,しだいに国家による青年団の統一を説くようになり,地方改良運動の過程では,内務省の青年団に対する指導統制の強化を支持した。
執筆者:平賀 明彦
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
山本滝之助
没年:昭和6.10.26(1931)
生年:明治6.11.15(1873)
日露戦争(1904~05)後に発達する地方青年団運動の指導者。広島県沼隈郡草深村(沼隈町)出身。明治19(1886)年,居村の中等小学校卒業。中学校進学を志すも断念し,21年役場雇,22年沼隈郡第14尋常小学校雇となる。29年に『田舎青年』を自費出版し,地方にも近代社会に目覚めた青年がいることを主張して注目される。一時上京するが,帰郷して以後は,若者仲間を青年会に組織し,さらに地方青年団の全国的な組織化に尽力。日本青年館の建設,大日本連合青年団の結成に道を開き,「青年団の母」と称された。大正10(1921)年教員を退職。13年から巡回青年講習所を始め,全国の青年を指導し,青年から「青年の父」と慕われた。<著作>『山本滝之助全集』<参考文献>多仁照広編『山本滝之助日記』全4巻,沼隈町教育委員会編『退一歩而待人』
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
山本滝之助 やまもと-たきのすけ
1873-1931 明治-昭和時代前期の社会教育家。
明治6年11月15日生まれ。小学校教師,校長をつとめるかたわら,地域の青年有志で好友会を結成し,青年団運動をはじめる。明治29年「田舎青年」をあらわし,青年会の育成と全国組織化を提唱した。昭和6年10月26日死去。59歳。広島県出身。
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山本 滝之助 (やまもと たきのすけ)
生年月日:1873年11月15日
明治時代-昭和時代の社会教育家
1931年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の山本滝之助の言及
【青年運動】より
…1880年にはYMCAが創設され,会員の修養,伝道を目的に全国的組織ができた。山本滝之助は96年に《田舎青年》を著すなど,地域青年会組織の必要を説いた。この当時の青年団体は,豪紳の子弟や書生・学生層に担われており,新しい日本の建設という,志士的気風に支えられていたことに特徴がある。…
【青年団】より
…明治10年代から20年代にかけて,青年の学習組織である夜学会や小学校の同窓会を母体として青年会が組織されはじめた。青年団の父といわれた[山本滝之助]は,この動きに着目し徳富蘇峰の青年会論の影響もうけ,1890年〈青年会ノ起ランコトヲ望ム〉を起草し,さらに96年《田舎青年》を書き,教育,文化にめぐまれない地方の農村青年が青年会をつくる必要を力説した。山本滝之助の主張と日清戦争時の青年会の銃後活動に着目した政府は,1905年内務省地方局長通牒〈地方青年団体向上発達ニ関スル件〉を出し,青年会の奨励を行った。…
※「山本滝之助」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」