日本大百科全書(ニッポニカ) 「山田脩二」の意味・わかりやすい解説
山田脩二
やまだしゅうじ
(1939― )
写真家、瓦職人。兵庫県武庫(むこ)郡鳴尾村(現西宮市)生まれ。1960年代後半から70年代にかけて建築写真の分野を中心に活躍、建築物をとりまく環境や人々の姿を大胆に画面内にとり入れた独自のアプローチを実践する。80年代からは、兵庫県淡路島の伝統的な瓦製造の技術を使ったデザイン活動を展開している。
1958年(昭和33)兵庫県立西宮高等学校を卒業後上京し、桑沢デザイン研究所リビングデザイン科に入学、大辻清司(きよじ)の指導を受ける。60年同研究所を卒業、グラフィック・デザイナーを目指し、印刷技術を学ぶため凸版印刷へ入社、大阪工場写真製版課で工員を務める。61年新設された凸版印刷アイデアセンター写真部に勤務。同年日本広告写真家協会(APA)第1回展「素材としての広告写真」公募部門に入選。62年凸版印刷を退社、企業PR誌などで写真撮影の仕事を担当しつつ、日本各地を歩き撮影する日々を送る。65年建築雑誌『SD(スペース・デザイン)』に創刊よりカメラマンとして参加、建築写真の分野で仕事を始める。67年から『毎日グラフ』誌で、「現代の造形美」「都市の構造美」などをテーマに6年間にわたり写真連載。
68年慶松幼稚園(原広司設計。東京)を撮影し、『SD』誌7月号に掲載。建築物の外観や構造のみでなく、実際にその空間を生きている人々(園児ら)のありようにも眼を向けた新しいアプローチを提示。70年、高度経済成長による都市の過密と地方の過疎、都市化する地方などの状況を印画紙に焼きつけるべく、日本列島各地を自動車でめぐりはじめる。72年まで続けられたこの撮影キャラバンの成果は、同年3月号の『SD』誌で「グラフ構成 日本村/今」と題して一挙掲載され話題を呼ぶ。74年「15人の写真家」展(東京国立近代美術館)に出品。78年磯崎新(あらた)の企画による「間――日本の時空間」展(装飾美術館、パリ)に出品。79年それまでの雑誌発表作品をまとめた写真集『日本村1969―1979』(写真構成:磯崎、篠山紀信)を出版。80年代初めには、写真雑誌『写楽』の依頼でニューヨーク、上海(シャンハイ)の都市環境を撮影。
82年「写真家終止符宣言」を知人たちに送り、淡路島の瓦製造工場で見習いの瓦職人となる。84年瓦による初個展(株式会社ミラノ、東京)開催。同年「株式会社山田脩二淡路かわら房」を設立。遊歩道の舗石に瓦を使用するなど、さまざまな新しい瓦の使い方を提案。石山修武(おさむ)、象設計集団、長谷川逸子らの設計による建築作品にも、山田の提供による瓦が活用された。91年(平成3)瓦によるデザイン活動を評価され吉田五十八(いそや)賞受賞。
[大日方欣一]
『『日本村1969―1979』(1979・三省堂)』▽『『ちくまプライマリーブックス カメラマンからカワラマンへ』(1996・筑摩書房)』▽『『日本の写真家39 山田脩二』(1998・岩波書店)』