日本大百科全書(ニッポニカ) 「凸版印刷」の意味・わかりやすい解説
凸版印刷
とっぱんいんさつ
relief printing
印刷する画線部が突起している版面を使い、この部分にインキをつけて印刷する方法。凸版印刷は、印刷発明当時の版式であり、その後も長い間印刷の主流であったが、1990年以降製版のやや簡単な平版に押され、ほとんど使われていない。しかし、この方式でつくられた印刷物は精緻(せいち)でかつ力強く、他の方式ではみられない美しさがある。凸版による印刷物かどうかを見分けるには、細い線の印刷部分の裏がいくぶん隆起していること、画線の縁のインキが濃くなっていることで、それと知れる。この縁の部分をマージナルゾーンmarginal zone(周辺地帯)といい、印刷物の力強さの要因となっている。
凸版印刷は、活字を使った活版印刷、および線画模様や写真を印刷する普通の凸版印刷に大別される。活版は活字を組んでつくった版で、新聞、雑誌、書籍などのほか文字の印刷に広く利用される。この活版のなかに漫画などを入れるための線画凸版、写真を入れるための写真版(網版ともいう)がある。凸版印刷の一種で、柔らかいゴム質の版を使ったフレキソ印刷は、製版、印刷の簡易なことから1975年ごろから使われていた。普通の凸版には製版方法により、彫刻版、腐食版、感光性樹脂版などがある。彫刻版は、木、プラスチック、金属に、手工的あるいは機械的に彫刻した版である。手彫り木版は歴史のもっとも古い印刷法である。機械的方法では、文字や写真の原稿を走査して、自動的に針あるいはレーザーで版材を彫刻する電子彫刻機が使われた。腐食版は凸版の製版にもっとも広く使われていた。これは感光剤を塗布した金属板上に画像を焼き付け、水洗すると非画線部は金属が露出するから、この部分を腐食液で腐食して凸版としたものである。版材に亜鉛を使ったものを亜鉛凸版といい、主として普通の凸版に用いる。銅を版材とした銅凸版は画像が鮮鋭であるから、高級な細かい網版に使われた。感光性樹脂版は、露光によって合成樹脂の分子が架橋重合して硬化するので、原画を版に焼き付け、現像することにより製版できる。操作が簡単であったため1970年ごろから使用が増えていた。大量の印刷には、複製版を使う。複製版には紙型からつくった鉛版、電気めっきでつくった電鋳版、熱可塑性プラスチックを使ったプラスチック版がある。凸版印刷に使われる印刷機は、印刷物の種類、印刷枚数、用紙の大きさにより選択された。名刺、案内状などに使う小さな平圧機のプラテン印刷機、ビラや少部数の頁(ページ)ものに使う円圧式の平台(ひらだい)印刷機、大量生産用の高速輪転機など多種多様であった。
[平石文雄・山本隆太郎・中村 幹]
凸版印刷(株)
とっぱんいんさつ
業界2位の総合印刷会社。1900年(明治33)大蔵省紙幣寮出身の技術者らが当時の最新式製版技術、エルヘート凸版法をもって凸版印刷(合資会社)を創立。1906年に日本初のグラビア印刷を実用化。1908年、株式会社に改組した。さらに1920年(大正9)にオフセット多色印刷のHB写真製版法を、37年(昭和12)にセロファン印刷法をともにアメリカから導入、38年には板橋工場を完成して量産体制を確立した。第二次世界大戦後早くから印刷多色化を予想してグラビア製版や色分解修正の新技術を導入、1952年(昭和27)に8色刷オフセット輪転機を完成した。さらに1958年には製版技術を生かしてICマスクなどの精密部品分野へ進出した。海外の有力会社と相次いで技術提携を進める一方、各種研究所の建設にも力を入れ、1973年に製版法の「トッパンTHグラビアプロセス」を開発、各国へ輸出している。1980年代にはICカード開発を手がけ、また電子メディア部門にも進出、96年(平成8)にはマルチメディア事業部を設置した。従来の印刷物に加え電子出版やインターネット事業も行っている。資本金1050億円(2008)、売上高1兆0229億円(2008)。国内に22工場、海外事業所26か所。
[中村清司]
『凸版印刷株式会社編・刊『TOPPAN 1985』(1985)』▽『凸版印刷株式会社百周年記念事業推進委員会編纂、武田晴人監修『凸版百年――凸版印刷株式会社百年史』(2001・凸版印刷)』