山西(省)(読み)さんせい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「山西(省)」の意味・わかりやすい解説

山西(省)
さんせい / シャンシー

中国北部の省。地名のとおり太行(たいこう/タイハン)山脈の西に位置し、東は河北(かほく/ホーペイ)省に接し、北は万里長城で内モンゴル自治区に、西と南は黄河(こうが/ホワンホー)で陝西(せんせい/シャンシー)省と河南(かなん/ホーナン)省に接し、黄河の東にあるところから河東とも称する。面積15万3000平方キロメートル、人口3196万1794(2000)。大部分を太行山脈をはじめ、恒山、五台山、呂梁(ろりょう)山、中条山などの山地が占める。南西部は汾河(ふんが/フェンホー)など黄河の支流流域であるが、北東部は海河(かいが/ハイホー)の上流である桑乾(そうけん)河、滹沱(こだ)河の流域である。標高2000メートル以上の太行山脈によって海洋と隔絶されているため気候は大陸性で、高度の高い所は寒冷である。年平均気温は12~20℃で、年較差が大きい。年降水量は400~600ミリメートルで、北西ほど乾燥している。住民の大部分が漢族であり、そのほか回族、モンゴル族、満洲族などが居住する。省都は太原(たいげん/タイユワン)市で、そのほか大同(だいどう/タートン)、陽泉(ようせん/ヤンチュワン)、長治(ちょうち/チャンチー)などの計10地区級市と1地区があり、それらのなかに12県級市85県を含む。

 厳しい自然条件のため農業の発展は制約されている。太原盆地や大同盆地は平地も多く、灌漑(かんがい)も発達して、とくに前者では米や綿花も広くつくられているが、一般には小麦、コウリャンアワ、トウモロコシなどが主要作物であり、北部は牧畜を主とする。解放後は山地に段々畑(梯田(ていでん))を築くなど、耕地の拡大を図っているが、昔陽(せきよう)県大寨(だいさい)人民公社の例に示されるように、安定した開発に至るには問題が多い。穀物を主とする農業が振るわないため、古くから副業が発達し、果樹栽培、牧畜が盛んであった。とくに汾河中流域のブドウ、涑水(そくすい)流域のカキなどは有名。また汾陽(ふんよう/フェンヤン)市杏花(きょうか)村の汾酒(フェンチウ)をはじめとする名酒の醸造でも知られる。鉱産資源の開発も古くから進み、石炭と鉄鉱は省内のほとんど全域で採掘され、山西鉄器は全国に広まった。現在でも石炭の埋蔵量は全国一といわれ、沁水(しんすい)炭田、霍西(かくせい)炭田などが大きい。鉄鉱は太行山脈の西麓(せいろく)、陽泉や長治の周辺に集中している。このほか運城(うんじょう/ユンチョン)市解池(かいち)は古くから塩の産地として有名であるが、現在も化学工業の原料として開発が進められている。山西省ではこのような資源や産業をもとに商業が発達し、これらの産物を流通させる山西商人の名は全国に知られ、巨額の富を築いて大都市に金融資本として進出する者も多かった。しかし近代的交通の未発達と、海岸の都市地域から離れていることから産業の近代化は後れ、今後の開発が期待されている。

 古代においては、汾河流域は、黄河下流域に発達した文明の影響を受け、春秋戦国時代にも列強の一つである晋(しん)や趙(ちょう)の所在地であった。北部は文明の発達は後れたが、北方異民族の影響が強く、南北朝時代には北朝の地方中心となり、その時代の文化遺物が残っている。しかし社会経済の中心が南方に移ってからは、全体として孤立した地域となり、近代に軍閥閻錫山(えんしゃくざん/ヤンシーシャン)の拠点となったのも、その孤立性に基づくものであった。

[秋山元秀]

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