岩滝村(読み)いわたきむら

日本歴史地名大系 「岩滝村」の解説

岩滝村
いわたきむら

[現在地名]岩滝町字岩滝

東に阿蘇あそ海を望み、西方中郡三重谷みえだに(現大宮町)に通じるおん坂(右坂)は今は小道であるが古道である。南の加悦谷かやだに方面には水路(野田川)・陸路ともに通じる。

地名の初見は中世末の丹後国御檀家帳で

<資料は省略されています>

と記される。

一五二〇―三〇年代、この地方に勢力をもっていた蒲田氏は府中ふちゆう(現宮津市)の守護代延永氏の「御内」であり、一族の勢力は府中・岩滝・板列いたなみ上山田かみやまだ(現野田川町)地域に広がっていたが、最も多く居住していたのが岩滝である。

慶長検地郷村帳に高六五三・八四石「岩滝村」とみえるが、延宝九年(一六八一)の延高で一千一六一石余となった(天和元年宮津領村高帳)

岩滝村
いわたきむら

[現在地名]岐阜市岩滝・岩滝東いわたきひがし岩滝西いわたきにし静が丘町しずがおかちよう

芥見あくたみ村の南に位置する。中世は芥見庄として推移したとみられる。永禄一〇年(一五六七)一一月日の埴原常安宛織田信長朱印状(埴原文書)に「岩滝内弐拾貫文」とある。慶長六年(一六〇一)の彦坂元正等連署知行目録(菅沼文書)に村名がみえ、当村七七七石余が菅沼定仍(伊勢長島藩)領となっている。慶長郷帳でも高七七七石余。元和二年(一六一六)の村高領知改帳でも同氏領。

岩滝村
いわたきむら

[現在地名]豊田市岩滝町

市木いちぎ川の上流域に位置する。くらヶ池が東端にある。文久二年(一八六二)の村絵図によれば、村の中心を東西に矢並やなみ道が通り、その道沿いに集落がみられる。岩滝寺が村の北端にあり、天王・弁天・神明などの社が村の外側に置かれている。東端の市木村境には池田いけだ村持地がある。鞍ヶ池からは、矢並道と平行して二本の川が流れているが、うち一本は池田川と思われる。村域には、先土器時代の菅生すごう遺跡、縄文時代の平子遺跡、一本松第一・第二号墳、花立はなだち第一―三号墳、萩洞はぎぼら東・西・南古墳があり、ともに径一〇メートルほどの円墳で、横穴式石室をもつ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報