島原(市)(読み)しまばら

日本大百科全書(ニッポニカ) 「島原(市)」の意味・わかりやすい解説

島原(市)
しまばら

長崎県島原半島の東岸、島原湾に面する市。半島の中核都市であり、かつ九州横断観光ルートの要地にあたる観光都市。1940年(昭和15)市制施行。1955年(昭和30)三会(みえ)村を編入。2006年(平成18)南高来(みなみたかき)郡有明町(ありあけちょう)を編入。島原の地は鎌倉時代の地頭職(じとうしき)の系譜を引く有馬氏の所領であったが、1614年(慶長19)延岡(のべおか)に転封された。その後、一時天領となったが、1616年(元和2)松倉重政(しげまさ)が4万石で入封した。1637年(寛永14)島原の乱により除封され、1669年(寛文9)以降は松平氏7万石の城下町で、眉山(まゆやま)東麓(とうろく)の扇状地上に立地する。

 市街地は、島原(森岳(もりたけ))城跡を中心とする旧士族屋敷の地区と島原湊(みなと)周辺の港町地区および北部の新興地区の三つに区分される。城跡周辺地区では大手門付近に市役所などの官公署が集中し、島原鉄道の島原駅がある。大手門以南では万(よろず)町、中堀町繁華街をなし、銀行や商社を伴っている。港町地区は熊本、大牟田(おおむた)への航路がある。また雲仙(うんぜん)への玄関口をもなし、バスターミナルがあり、国道57号、251号が走る。北部の新興地区では、塩浜に工業用地を伴う島原新港が建設され、都市化が進んでいる。農業は沖田畷(おきたなわて)付近の米作のほか、ミカン、葉タバコ、野菜の栽培が盛んで、水産はノリ、ワカメを主とする。

 一方、島原は古来「水の都」とよばれる観光地で、市内各地に自噴の湧水(ゆうすい)があり、とくに1792年(寛政4)の島原地変によって生じた白土ノ湖(しらちのいけ)は自噴泉で上水道の水源をなし、杉山の湧水も豊富で、旧藩時代には城下町の水路水田とに引水され、水奉行(ぶぎょう)が置かれた。鉄砲町(下ノ丁(したのちょう))では、水路を巡らした士族屋敷の原型が保存されている。観光地は、島原城跡や、旧島原藩薬園跡(国指定史跡)のほか、島原地変によって大崩壊をおこした眉山の奇景、その崩壊の土石流によって生じた秩父ヶ浦(ちちぶがうら)や九十九島(つくもじま)の景勝地がある。地変直前に流出した焼山(やけやま)溶岩流の末端は焼山を生じた。1990年(平成2)雲仙普賢岳(ふげんだけ)が噴火し、甚大な被害を受けた。面積82.96平方キロメートル、人口4万3338(2020)。

[石井泰義]


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