崇徳寺(読み)すとくじ

日本歴史地名大系 「崇徳寺」の解説

崇徳寺
すとくじ

[現在地名]彦根市肥田町

肥田ひだ城跡の南東方にある。大智山と号し、臨済宗建仁寺派。本尊の菩薩形坐像は寄木造で彩色があり、鎌倉時代の作。近江平定ののち肥田城主となった織田家臣蜂屋頼隆が旧封の岸和田きしわだ(現大阪府岸和田市)から請来したと伝え、像胎内に「肥田城主蜂屋出羽奉敬霊像中興松嶺和尚厳粧元禄五壬申七月七日為群生開帳一盛事例利百万」と墨書されている。宋風の作で、寺伝では聖観音という。

創建年代は明らかでないが、「愛智郡志」は寺の縁起によればとして、養和元年(一一八一)肥田城主高野瀬備前守の創立で、暦応年間(一三三八―四二)禅宗に転じたと記している。


崇徳寺
そうとくじ

[現在地名]奈良市大豆山町

大豆山まめやま町の西側にある。花賞山花林院と号し、浄土宗。本尊阿弥陀如来徳川家康の手跡師範、縁誉休道が慶長年中(一五九六―一六一五)に寺領五〇石を与えられ、二世泰誉によって寺観が整えられた。「庁中漫録」所収の慶長七年(一六〇二)の徳川家康朱印状に「和州花賞山宗徳寺屋敷年貢等并寺廻之山林、永所寄附之、猶以為堪忍分於法蓮之郷五十石、知行被下者也、仍如件」とある。


崇徳寺
すとくじ

[現在地名]大間町奥戸

奥戸おこつぺの中ほどの東山寄りにある。梅香山と号し、浄土宗。本尊は阿弥陀如来。寛政年間(一七八九―一八〇一)の「邦内郷村志」に「崇徳寺 梅香山盛岡大泉寺末寺、浄土」とある。貞享二年(一六八五)の草創で、開山は僧閑徹、開基は伊勢屋安兵衛という(下北半嶋史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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