大間町(読み)おおままち

日本歴史地名大系 「大間町」の解説

大間町
おおままち

[現在地名]相川町大間町

町部北側の海岸端にある。北はしば町、南は濁川にごりかわ町、東は紙屋かみや町。大間は大きい(港)の意。元禄七年(一六九四)検地帳(相川郷土博物館蔵)では町屋敷一町余・中畑一八歩。年不詳の相川町々書上帳(舟崎文庫蔵)では町の長さ一一五間五尺。江戸後期の相川町中町積之事並家数人員之事(佐渡名勝志)には、町の長さ一町三九間三尺・道幅二丈一尺、建家四五軒、一軒明地、人数二四五人とある。大間番所が置かれ港町として賑った。元禄検地にみる四一人の名請人のうち、多左衛門家は間口七間半・奥行二二間のもっとも大きい屋敷を有する。同家は「佐渡国略記」によると、宝暦四年(一七五四)に三五〇石積の廻船をもつ商人

大間町
おおままち

面積:五二・一一平方キロ

下北半島の西北端に位置する。津軽海峡に突出する大間崎は本州の最北端にあたる。下北山地西北端の大滝おおたき(五六三・四メートル)から北に延びる稜線を境にして東は風間浦かざまうら村、南は大畑おおはた町と接し、南西は大滝山から流家戸ながれげど(三三六・四メートル)に至り、さらに北西の津鼻つばな崎で津軽海峡に臨む支脈の稜線を境にして佐井さい村に接する。

町の北部には数段にわたる海岸段丘が発達し、大間川が西流する。町のほぼ中央を大滝山に発する奥戸おこつぺ川などが流れて、津軽海峡に注ぎ、南端を流家戸山に発する材木ざいもく川が北流する。大間崎の北の海上約五〇〇メートルに弁天べんてん島がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大間町」の意味・わかりやすい解説

大間〔町〕
おおま

青森県北部,下北半島北端に位置し,本州最北端にある町。津軽海峡をへだてて,北海道の汐首岬とはわずか 19kmの位置にある。 1942年大奥村が改称して町制。元治1 (1864) 年イギリス商船が暴風雨で大間崎沖の弁天島に乗上げ,そのとき地元漁民が赤ウシを提供したことが下北地方におけると牛の始りといわれ,以来肉牛飼育が盛ん。付近は好漁場で,イカ,カレイ,タイ,ヒラメなどがとれ,ノリ養殖も行われる。交通が不便であったが,64年に就航した函館市とを結ぶフェリーにより北海道との結びつきが強い。海岸沿いを国道 279号線,338号線が通る。面積 52.10km2。人口 4718(2020)。

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