川原田政太郎(読み)かわらだまさたろう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「川原田政太郎」の意味・わかりやすい解説

川原田政太郎
かわらだまさたろう
(1890―1983)

電気技術者。富山県魚津(うおづ)の生まれ。1915年(大正4)早稲田(わせだ)大学電気工学科を卒業し、2年間小穴製作所(おあなせいさくじょ)(第二次世界大戦後日本電気精器改称。デンセイ・ラムダを経て現、TDKラムダ)に勤めたのち、母校助手助教授、1926年教授。1930年(昭和5)学位を受ける。山本忠興(ただおき)とともに誘導同期電動機発明し小穴製作所で工業化した。早稲田大学でのテレビジョンの研究が中止されたのち、1936年電磁工業研究所(1944年航空電磁応用研究所に改組、翌1945年電磁応用研究所と改称)を創立し、磁歪(じわい)現象を応用した各種の測定器を発明した。戦後は電気時計改良に貢献した。

山崎俊雄

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20世紀日本人名事典 「川原田政太郎」の解説

川原田 政太郎
カワラダ マサタロウ

大正・昭和期の電気工学者 早稲田大学名誉教授;(財)電磁応用研究所理事長。



生年
明治23(1890)年8月7日

没年
昭和58(1983)年9月6日

出生地
富山県魚津

学歴〔年〕
早稲田大学理工学部電気工学科〔大正4年〕卒

主な受賞名〔年〕
帝国発明協会恩賜記念賞

経歴
苦学の末大正4年早大理工学部を卒業。小穴製作所(のち日本電気精器)に3年勤務したあと、早大の助手となり、8年助教授、のち教授。昭和36年名誉教授。この間、大正8年誘等同期電動機を発明。11年渡欧し、マンチェスター工科大学電気工学科、ソルボンヌ大学物理化学科で学ぶ。帰国後、テレビジョンの研究に取り組む。昭和5年1メートルを超す大型受映面を持つ“早稲田式テレビジョン”を発明。また、電気時計の第一人者で地球儀式世界時計、真空電磁時計、磁歪時計など、誤差がほとんどない新式の時計を次々と発明。東京駅はじめ国鉄各駅の案内時計として採用された。一方で、さつまいもの腐敗を防ぐキュアリング法を考案し、農林省の後押しで全国に普及させた。著書に「テレビジョン」がある。平成2年のNHK連続テレビ小説「凛々と」のモデルといわれる。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「川原田政太郎」の解説

川原田政太郎 かわらだ-まさたろう

1890-1983 大正-昭和時代の電気工学者。
明治23年8月7日生まれ。小穴(おあな)製作所(現日本電気精器)勤務をへて,大正15年母校早大の教授となる。山本忠興(ただおき)と共同で誘導同期電動機,鏡車式テレビジョンを開発。戦後は電気時計の改良にとりくんだ。昭和58年9月6日死去。93歳。富山県出身。

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367日誕生日大事典 「川原田政太郎」の解説

川原田 政太郎 (かわらだ まさたろう)

生年月日:1890年8月7日
大正時代;昭和時代の電気工学者。早稲田大学教授;(財)電磁応用研究所理事長
1983年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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