川西清兵衛(読み)カワニシ セイベエ

20世紀日本人名事典 「川西清兵衛」の解説

川西 清兵衛
カワニシ セイベエ

明治〜昭和期の実業家 日本毛織会長;神戸商工会議所会頭。



生年
慶応1年7月18日(1865年)

没年
昭和22(1947)年11月19日

出生地
大阪府

旧姓(旧名)
筑紫

別名
幼名=音松

経歴
大坂高麗橋の蠟商・筑紫三郎助の五男に生まれ、幼名を音松。25歳の頃、兵庫県の素封家で石炭・石油の問屋を営んでいた川西家の婿養子となり、明治31年清兵衛と改名。羊毛貿易の先駆者・兼松房治郎と知り合い、29年神戸の実業家らを発起人に日本毛織を創立し、軍用毛布服地製造。また欧州に技師を派遣し当時の最新技術を導入した。大正2年日本毛糸紡績会社を設立、7年日本毛織と合併。昭和毛糸紡績、共立モスリン、山陽皮革、神戸生糸など多数の関連企業を設立し、川西コンツェルンと呼ばれた。一方、6年中島知久平と航空機製造を開始し、9年川西機械製作所を創業。日本羊毛工業会会長、神戸商工会議所会頭も務め、神戸財界の発展に貢献した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「川西清兵衛」の意味・わかりやすい解説

川西清兵衛
かわにしせいべえ

[生]慶応1(1864).9.18. 大坂
[没]1947.11.19. 神戸
明治・大正期の関西の実業家。大坂の商家に生れ,神戸の石油石炭商川西家の養子となる。 1896年日本毛織会社を創立,毛織物の製造を試み,失敗を重ねたのち,良質の国産製品の生産に成功,次いでモスリンにも進出,第1次世界大戦期に巨利を得,同社は日本一の毛織物会社に発展した。その後関西において鉄道,機械,航空機,ガス,ホテルなど諸事業を興し,第2次世界大戦前まで関西財界の有力な指導者の一人であった。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「川西清兵衛」の解説

川西清兵衛 かわにし-せいべえ

1865-1947 明治-昭和時代前期の実業家。
慶応元年7月18日生まれ。明治29年日本毛織を創立して軍用の毛布・服地を製造。大正6年中島知久平(ちくへい)と航空機製造を開始し,9年川西機械製作所を創業。日本羊毛工業会会長,神戸商工会議所会頭をつとめた。昭和22年11月19日死去。83歳。大坂出身。旧姓は筑紫。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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