巨文島(読み)キョブントウ(英語表記)Kǒmun-do

デジタル大辞泉 「巨文島」の意味・読み・例文・類語

きょぶん‐とう〔‐タウ〕【巨文島】

大韓民国南部、全羅南道島群。済州海峡にあり、水運要地。1885~87年、英国艦隊が占領して、ロシア南下政策に対抗した。コムンド。

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精選版 日本国語大辞典 「巨文島」の意味・読み・例文・類語

きょぶん‐とう‥タウ【巨文島】

  1. 朝鮮半島南方、朝鮮海峡にある島。全羅南道に属する。一八八五~八七年、ロシアの南下策に対抗するため、英国の東洋艦隊が占領した。クオムン島。

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改訂新版 世界大百科事典 「巨文島」の意味・わかりやすい解説

巨文島 (きょぶんとう)
Kǒmun-do

朝鮮半島と済州島の中間にある島。韓国全羅南道に属する。東島(面積3km2),西島(6.9km2),古島(1.1km2)の3島からなる。3島に囲まれた内海は比較的穏やかで,漁船などの避難港に利用されている。近海サバ,タイ,アジなどの漁場であるが,漁業に従事する島民は多くない。1971年の調査によると,3島合わせて人口6299,戸数1103で,2/3が専業農家である。水田はほとんどなく,畑作家畜を中心に自給的農業に携わっている。済州海峡から朝鮮海峡へ抜ける航路上の要地にあり,19世紀末の列強の東漸時代には,戦略的拠点として争奪対象となった。
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1885-87年,巨文島がイギリスに占領された事件。甲申政変ののち朝鮮政府内部にロシアへの接近策が生じたが,世界各地でロシアとの対立を深めていたイギリスはこれに対抗し,85年4月朝鮮海峡の要衝でロシア艦隊の通路にあたる同島を占拠,砲台を築いてポート・ハミルトンと命名した。朝鮮政府はこれに抗議し,ロシアも対抗措置を表明したため,87年2月清国の仲介によって撤退が行われた。朝鮮が帝国主義列強による領土分割競争の対象とされた事件で,こののちロシアが朝鮮の土地租借を要求した事件に99年の馬山浦事件,1903年の竜岩浦事件などがあるが,いずれも日本の妨害で実現しなかった。
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