平内(読み)ひらない

日本大百科全書(ニッポニカ) 「平内」の意味・わかりやすい解説

平内(町)
ひらない

青森県中央部、東津軽郡の町。陸奥(むつ)湾に突き出た夏泊半島(なつどまりはんとう)と南部の山地からなる。1955年(昭和30)小湊(こみなと)町と東平内、西平内の2村が合併して成立。第三セクター青い森鉄道(旧、JR東北本線)、国道4号が通じる。平内という地名はアイヌ語の「ピラナイ」(山と山の間に川がある土地の意)からきたといわれる。鎌倉~南北朝時代までは南部氏の支配下にあったが、1585年(天正13)以降津軽氏領となった。盛岡藩境の狩場沢(かりばさわ)には関所が置かれ、藩境塚(県の史跡)が残る。農林水産業が主体で、とくに陸奥湾内のホタテガイ養殖は生産量、金額とも県全体の4割以上を占める。県の水産総合研究センター増養殖研究所も設置されている。スキー板の生産も知られる。浅所海岸(あさどころかいがん)は「小湊のハクチョウおよびその渡来地」(特別天然記念物)、ツバキ自生北限地帯(天然記念物)の椿山(つばきやま)がある。面積217.09平方キロメートル、人口1万0126(2020)。

横山 弘]

『『平内町史』(1977・平内町)』


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改訂新版 世界大百科事典 「平内」の意味・わかりやすい解説

平内[町] (ひらない)

青森県北部,東津軽郡の町。人口1万2361(2010)。陸奥湾中央に突出した夏泊(なつどまり)半島の全域とその南部を占める。中央部をJR東北本線(東北新幹線,八戸~青森間の開業に伴い,青い森鉄道となる)が東西に走り,青森市に通じている。中世には南部氏の支配下にあり,戦国期には津軽氏との争奪の地となったが,近世は黒石藩領で,東端の狩場沢と野辺地町馬門(まかど)の間には南部藩との藩境塚が置かれた。中心の小湊は夏泊半島東岸の要地で,奥州街道が通じ藩の代官所が置かれていた。小湊港は第2次大戦中に青森港の補助港として整備された。海岸部で大正初期以降行われてきたノリ養殖は1960年ころから減少し,代わって70年ころからホタテガイ養殖が急増した。清水川地区を中心に県の約1/2の生産量をあげ,ホタテ加工業も盛んである。稲作は〈やませ〉による冷害にしばしば襲われ,近年は花卉栽培にも力を入れている。夏泊半島海岸は浅虫夏泊半島県立自然公園に指定されており,浅所海岸はハクチョウの飛来地(特天),北端の椿山はツバキの自生北限地(天)として有名である。
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百科事典マイペディア 「平内」の意味・わかりやすい解説

平内[町]【ひらない】

青森県中北部,東津軽郡の町。夏泊(なつどまり)半島が陸奥(むつ)湾に突出し,海岸沿いに青い森鉄道が通じる。ホタテの養殖が盛ん。稲作など農業も行う。ハクチョウ渡来地(特別天然記念物)の浅所海岸,夏泊崎など風光にすぐれる。東日本大震災で,町内において被害発生。217.09km2。1万2361人(2010)。

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