平城京跡・平城宮跡(読み)へいじようきようあと・へいじようきゆうあと

日本歴史地名大系 「平城京跡・平城宮跡」の解説

平城京跡・平城宮跡
へいじようきようあと・へいじようきゆうあと

〔概観〕

平城京の古代都市としての特質を一言でいうならば、わが国の古代都城のなかで、最初の本格的な碁盤目状街区をもつ計画的都市である藤原京と、古代から近代までの首都となり、その意味では安定した都市をつくることに成功した平安京の間にあって、前者の特質を共有しながらも、後者への飛躍的な展開を準備した高揚期の古代都市とみることができよう。

平城京の都市計画の祖形は藤原京にあるといわれる。両京は、都市計画の基本構造を共通にすることはもとよりであるが、大和盆地の北と南にあって、南北官道(中ツ道・下ツ道)媒介にして密接に連結しているといったほうがよいかもしれない。藤原京は二つの道を東西の京極路にして、東西二・一キロ、南北三・二キロの範囲に、一二条四坊の条坊街区の京域を設けたが、平城京は藤原京の西京極を京の中軸線に使って東西幅を二倍に広げ、南北規模を一・五倍に延長した。これを九条四坊に分つ。したがって、京の基礎単位である一坊の規模は、藤原京の一坊の四倍の広さである。この平城京の九条四坊制、一坊の大きさは、長岡ながおか・平安両京に受継がれた。

さらにまた、平城京の都城構造には、藤原京のそれによって理解できるもののあることが指摘されている。例えば右京の北辺に二町分のはみ出た街区が付加されているのは、藤原京で宮城の北に二条の街区が存在することと関連する条坊計画であること、また平城京の一坊が坊間路により四分割されているのは、藤原京において平城の四分の一が一坊の単位であったことの遺制と考えられることなどである。ちなみに平城京にも踏襲されたであろう官人宅地の班給最高額は、藤原京の一坊の広さ(四町)である。

しかしながら右にみたことは、別な観点からすれば平城京が藤原京と大きく異なる点でもある。なによりも都市規模を一挙に三倍にしたのは大きな飛躍であり、両京の量を超えた質的な差異とみるべきである。興福寺元興がんごう寺・寺などの諸大寺を配置した外京は藤原京にはなく、この点でも藤原京の規模をさらに引離すことになった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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