人は生まれながらにして平等であり,したがって万人は政治的にも社会的にも平等に扱われねばならないとする主張。人間の本性を平等とみなす普遍的信念なしに平等主義はありえないが,それだけでは十分ではない。人間の本質的平等にもかかわらず,現実にはなんらかの人為的制度が政治的社会的な平等を妨げており,しかも,そうした制度は人為である以上変更可能であるという認識が加わったとき,はじめて平等主義は現実的意味をもつ。
神あるいは自然法といった絶対的規準の下で人間は平等な存在であるという信念は,ストア主義とキリスト教以来,西洋の思想的伝統の一部となっている。とはいえ,政治的社会的差異の現存にもかかわらず人間は理性あるいは罪において平等であると信ずることが,直ちにその差異を撤廃すべきだという主張に結びつくわけではない。事実,キリスト教もストア思想も長期にわたって奴隷制や身分制を許容してきた。政治的権利や社会的条件の平等を基礎づけた古代の観念としては,ギリシア古典期における〈イソノミアisonomia〉(法の前の平等)の観念が重要であり,ソロンからペリクレスに至るアテネ民主政の発展の基礎には明らかに平等を求める社会的欲求が存在した。しかし,ここでの平等はあくまでも同一ポリスに属する市民の間の平等であって,ポリスの枠を超え奴隷をも含む普遍的な人間の平等ではなかった。〈平等とは等しいものを等しく扱うこと〉(アリストテレス)である限り,平等の主張は異質な人間の存在と少しも矛盾しなかった。
近代の平等主義はキリスト教の平等思想の世俗化に第1の契機を有する。ルターの万人司祭主義を徹底させ,民衆の社会的解放の欲求に結びつけた再洗礼派その他の急進的宗教改革の運動は平等主義の最初の具体化であった。再洗礼派やカルビン派の諸セクトは信仰を共にするものの共同体の秩序を平等主義的に構成したが,救いに関して徹底した不平等を説く予定説が運動の基礎にある限り,教派集団内部の平等は外に対する差別や非寛容と表裏を成していた。これらのセクトが信教の自由を求めて闘った闘争の中から政教分離原則が生みだされたとき,政治的社会的平等ははじめて真に普遍的な基礎づけを与えられた。清教徒革命においてJ.リルバーンに率いられたレベラーズLevellers(水平派)の主張はそのもっとも早い例であり,彼らの提唱した〈人民協定The Agreement of the People〉は近代民主主義の最初の成文憲法案として,成人男子の普通選挙を規定するなど政治的平等の徹底的実現を図っている。
近代平等主義の第2の思想的契機は啓蒙思想である。本有観念を否定したJ.ロックの認識論に出発点を有する啓蒙哲学は,制度や観念をことごとく経験と歴史の所産とみなすことによって既存の伝統や慣習の基盤を掘り崩す一方で,自然と理性に合致した画一的な社会秩序を構想した。あらゆる特権や不平等は因襲と偏見に根ざし,理性と教育によって克服すべき対象とされた。そこから直ちに政治的社会的な革命が理論化されたわけではないが,フランス革命における封建的諸特権や身分制の全廃が啓蒙の伝統批判なしにありえなかったことは明らかである。アメリカ独立宣言とフランス人権宣言は人間の自由とともに平等を普遍的価値として掲げる。
しかしながら,ブルジョア革命による身分制や封建遺制の撤廃は社会におけるあらゆる不平等を断つものでは決してなかった。それどころか,経済外的強制の消失によってもたらされた資本と労働の自由は,自律的経済過程の生みだす新たな不平等,ブルジョアジーとプロレタリアートとの階級対立を表面化した。産業革命がさらに貧富の差を拡大し,労働者の疎外を深刻化せしめたとき,ブルジョア的政治原理は社会問題に慈善の対象を見いだしはしても,克服すべき不平等を認めはしなかった。ピューリタニズムにしろ啓蒙主義にしろ,個人主義的前提に立った平等観念からは,不平等が生まれ,特権でなく個人の勤勉と能力の結果として説明される限り,これを論難する根拠を見いだし難いからである。〈天ハ人ノ上ニ人ヲ造ラズ,人ノ下ニ人ヲ造ラズ〉(福沢諭吉)という平等主義は,学問と自助の努力が貧富,貴賤を分かつという認識と背中合せであった。
かくして近代平等主義の第3の契機は,ブルジョア革命によって真の自律性を与えられた資本制生産様式がその構造的必然として人間疎外と不平等とを生むことを論証し,私有財産制の否定に社会的平等の条件を見いだした社会主義思想である。すでに早く,《人間不平等起源論》において私有財産制に文明社会の悪の源泉を見いだしたJ.J.ルソーは,〈事物の力はつねに平等を破壊しがちであるから,法の力がこれを維持しなければならない〉(《社会契約論》)と述べていた。ルソーの直接の論難対象はアンシャン・レジームの身分制にあったとしても,後代の社会主義者にとって,〈事物の力〉を資本主義経済に,〈法の力〉を社会主義や共産主義の制度に読みかえることは容易であった。〈胃袋は誰でも同じ〉として能力の相違を無視して完全な分配の平等を志向したG.バブーフの〈平等者の陰謀〉を先駆に,19世紀には政治的社会的平等を求めるさまざまな思想や運動が生じた。社会主義,共産主義,無政府主義,チャーチスト運動などこれらの思想や運動は究極目標においても運動のスタイルにおいても多様であったが,資本制生産と市場経済の生む貧困と不平等に対して個人主義的な自由・平等観が盲目である点を批判し,民衆の能動的運動なくして真の社会的平等の実現しえぬことを主張する点では共通していた。〈所有とは盗みである〉(P.J. プルードン)という言葉を剰余価値理論に置き換え,史的唯物論によってプロレタリアートの自己解放を歴史的必然として予言したマルクスは,社会主義を科学的に基礎づけたとされるが,彼が不平等をもっぱら階級社会との関連で理解したことはマルクス主義の平等観念に限定性を与えてもいる。
平等主義を基本的特質とするイデオロギー集団が権力を掌握し,社会的平等の徹底的制度化を試みたことは,小規模なユートピア的実験や一時的現象を除いてはロシア革命に至るまでなかった。にもかかわらず,近代社会が人と人との差別をなくし不平等を和らげることをたてまえとして掲げ,巨視的にみてこれを実現する方向に動いていることは否定できない。トックビルが鋭く認識したように,平等主義が支配的イデオロギーとなることは稀であっても,平等への情熱そのものは近代社会の本質に深く根ざす普遍的現象なのである。だからこそ,平等化の生む画一化と個性喪失とに対する精神的貴族主義からの批判もまた,トックビルからオルテガに至るまで絶えることなく繰り返されてきた。
歴史的にみると,多くの平等主義は少数の支配集団によって大多数の人間が収奪されているという認識に立つものといえよう。しかし,大衆民主主義と福祉社会が現実のものとなった先進諸国において今日深刻な不平等は,性差別を別にすれば,その多くが少数者に対する差別問題である。少数民族や少数宗教への差別,移民労働者や日本の部落差別などさまざまな文化的背景をもった少数者問題は依然として解決されていない。他方,国際的にみるならば,南北の経済格差が構造化された現代の世界経済秩序の中では,少数者の特権享受,多数者の貧困という古典的図式はなお生きており,しかもそれは多くの発展途上国内部の不平等と有機的関連をもっている。これらの複雑な諸問題を処理する枠組みの提示こそ現代における平等主義の課題であろう。
執筆者:松本 礼二
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…第4期は,相互主義の時代で,外国人を自国民と平等な地位におこうとはするが,相手国が自国民に権利と保護を与えることを条件とした。第5期は平等主義である。現代は平等主義の時代であるが,相互主義の制度も残っている(例,出入国管理及び難民認定法(略称,入管法)5条2項,国家賠償法6条)。…
…すなわち,差押えによって執行機関が,債務者に代わって目的物の処分権限を取得し,それに基づいて目的物を換価し,その結果えられる売得金を債権者に配当するというのが,手続の概要である。執行手続に参加する債権者が,複数いる場合には,それぞれの債権額に応じて平等な配当が行われることになっており,これを平等主義の原則と呼ぶ。ただし,民事執行法は,配当に参加できる債権者の範囲を原則として債務名義を持つ者に限定する態度をとっている。…
※「平等主義」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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