日本大百科全書(ニッポニカ) 「封建遺制」の意味・わかりやすい解説
封建遺制
ほうけんいせい
近代社会における封建的社会関係の残存物をいう。とくに1945年(昭和20)の敗戦に伴う戦後変革期において、日本軍国主義の温床が封建的社会関係ないし封建遺制にあったとする認識から、その克服が国民的な課題となった。その際、封建遺制の主要なものとして指摘されたのは、(1)資本主義のための低賃金労働力給源である小作人を対極とする寄生地主制、(2)農村社会の近代化を阻止している村落共同体的社会関係、(3)労働組合の組織化も許さないような家父長的労資関係、(4)強固な嫡子・家督制度や女性の権利無能力等によって特徴づけられる家父長的家族制度、(5)同族的資本支配にたつ閉鎖的財閥組織、(6)国民の人間的・政治的諸権利を大幅に規制する天皇制的支配・国家体制、などである。
これらの封建遺制は、一つには、明治維新変革が封建社会から近代社会への移行のための変革としては不徹底であったこと、二つには、新たに形成された資本主義や近代国家が、そのような封建遺制を単なる残存物として放置するのでなく、むしろ積極的に自己の支配基盤として温存し、あるいは再編成したことにその存続の根拠があった。占領政策が推進した新憲法の制定、農地改革、財閥解体、労資関係および家族制度の改革などは、すべてそうした認識のもとに封建遺制の一掃を目標として行われた。その意味で封建遺制の克服は政策的には敗戦の産物ともいえる側面をもつが、基本的には戦前から行われていた小作争議・労働争議や民主主義的諸運動を継承発展させたものというべきであって、それだけに戦後国民的な運動として高まりをみせた。
このような封建遺制の克服は大勢としては戦後約10年間くらいのうちに遂行され、1955年ごろを境として資本主義が立ち直るとともに、農地改革の成果も明らかになった。そうしたことから、封建遺制の問題はすでに現実的課題としては歴史的役割を終えたという認識が広まり、論壇でも「戦後は終わった」とか「大衆社会論」のような新しいテーマが主題とされるようになった。
[永原慶二]
『日本人文科学会編『封建遺制』(1952・有斐閣)』