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幾何原本 きかげんぽんJi-he yuan-ben

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

幾何原本
きかげんぽん
Ji-he yuan-ben

ユークリッドの『原本』の前半を漢文に翻訳したもの (6巻) 。 C.クラビウス (1537~1612) の注釈本 (15巻) からの翻訳で,徐光啓の協力を受けて,イエズス会士マテオ・リッチによって開始された。訳出作業は,リッチが口述し,光啓が筆受するという方法がとられ,1607年に完了した。 30年には『天学初凾』にも収録された。『原本』の第7巻以下は,イギリス人 A.ワイリー (1815~87。中国名は威烈亜力) と中国の数学者の李善蘭の手で,1852年から3年がかりで完成され,『続幾何原本』 (9巻,57) として刊行された。これは英訳本によったものであった。

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世界大百科事典 第2版の解説

きかげんぽん【幾何原本 Jǐ hé yuán běn】

前300年ごろのギリシア数学者ユークリッドが著した幾何学書《ストイケイア》(はじめ13巻,後に15巻に増補)の中国訳名。〈幾何〉とは中国語で量的な問いを意味する疑問詞である。末にイエズス会士マテオ・リッチ(漢名利瑪竇)が来朝し,その指導により徐光啓が1606年(万暦34)にその前半6巻を漢訳した。後半の9巻は,清末の1856年(咸豊6)にイギリス人宣教師ワイリーAlexander Wylie(漢名,偉烈亜力)が李善蘭の協力を得て訳出した。

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世界大百科事典内の幾何原本の言及

【中国数学】より

…唐代のインド数学,元代のイスラム数学の場合とちがって,ヨーロッパ数学はかなり根を下ろしたが,アラビア数字はもちろん,数式などもヨーロッパ風のものは採用されずに終わった。1582年(万暦10)に来たマテオ・リッチ(漢名,利瑪竇)は開明的な高官徐光啓の助力を得て,ユークリッド幾何学書《ストイケイア》の前半の6巻を《幾何原本》として漢訳し,論証的幾何学を中国に紹介した。なお後半の9巻は清末に漢訳された。…

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