廟底溝遺跡 (びょうていこういせき)
Miào dǐ gōu yí zhǐ
中国,河南省陝県廟底溝にある仰韶(ぎようしよう)文化廟底溝類型と廟底溝第2期文化の標準遺跡。1953年に発見され,56,57年に黄河水庫考古工作隊が調査。遺跡は黄河支流の青竜の南岸台地にあり,仰韶文化(廟底溝第1期文化),仰韶文化から竜山文化への過渡期(廟底溝第2期文化),河南竜山文化,東周時代の4期の文化層が確認され,竜山文化が仰韶文化から派生したものであることが,初めて証明された。仰韶文化は廟底溝類型と呼ばれ,方形の竪穴式住居址,貯蔵穴,墓葬が発見されている。土器は精製の紅陶が多く良質の灰陶がこれに次ぐ。彩陶の文様は幾何学文を中心とし,円点,鉤葉,弧線三角文と曲線文を巧みに組み合わせた連続帯状文が特徴である。廟底溝第2期文化は竜山文化の早い段階のもので,粗質灰陶が最も多く,黒色光沢をもった良質黒陶があり,彩陶はまれとなって簡単な文様となる。石製や貝製の鎌,木製の耒(らい)(すき)などの新しい農具が登場している。この文化層の炭素14法の年代は前2190年である。
執筆者:横田 禎昭
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廟底溝遺跡【びょうていこういせき】
中国,河南省陝県の南東にある仰韶文化から竜山文化にかけての遺跡。中国読みは〈ミヤオティーコウ〉。1956年―1957年に調査。仰韶期の層からは住居跡,墓,黒色の彩陶などが発見され半坡(はんぱ)類型(半坡遺跡)と並んで廟底溝類型と呼ばれる。竜山期の層は廟底溝第二期文化と呼ばれ竜山文化早期の遺跡で,住居跡,窯,墓葬などのほか,石刀,石鎌など農具が出土し,農業の発達を知ることができる。この遺跡によって竜山文化が仰韶文化から発展したものであることが証明された。
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廟底溝遺跡
びょうていこういせき
中国、河南省陝(せん)県にある仰韶(ぎょうしょう)文化廟底溝類型文化と竜山文化廟底溝第二期文化の標準遺跡。仰韶文化層からは住居址(し)、貯蔵穴、竪穴(たてあな)墓が発見されている。仰韶文化の出土遺物には、彩陶、灰陶、紅陶などの土器類、石刀、鏟(さん)、環、磨盤などの石器類、針、錐(きり)、鏃(やじり)、鑿(のみ)などの骨角器類がある。彩陶の文様は幾何学文様を主とし、鳥やカエルの動物文様もみられる。廟底溝類型文化は、紀元前4000年ごろの鋤耕(じょこう)農業文化で、アワを栽培し、家畜飼育も行っていたと考えられる。廟底溝第二期文化は、竜山文化のより古い類型で、前3000~前2500年ごろの文化と推定される。出土する土器は灰陶が主で、少量の彩陶と黒陶も存在する。農業と家畜飼育は仰韶文化に比べ発達し、漁猟工具の出土と動物骨の出土によって漁猟も盛んであったことが知られる。
[飯島武次]
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廟底溝遺跡
びょうていこういせき
Miao-di-gou
中国河南省陝県廟底溝にある新石器時代の遺跡。陝県城の南東 2.8kmにあり,青竜澗の南岸にあたる。 1956,57年の2次にわたって調査が行われ,仰韶文化,竜山文化,東周時代の3層の堆積が認められた。仰韶文化の地層からは住居址,窯跡,灰坑,墓葬が発見され,土器,石器,骨角器などが出土している。廟底溝の竜山文化は年代的に最も古い竜山文化に属し,仰韶文化と陝西竜山文化や河南竜山文化との過渡的な要素を有し,中原の陝西竜山文化や河南竜山文化が,仰韶文化から発展したとする学説が有力となった。
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世界大百科事典(旧版)内の廟底溝遺跡の言及
【竪穴住居】より
…
【中国】
中国の新石器時代では,竪穴は黄河流域の彩陶文化として有名な仰韶(ぎようしよう)文化期に始まる。その初期の[廟底溝遺跡]では,竪穴の床は1辺約7mの方形で,深さ50cm余を掘り下げ,南辺中央に屋外からスロープで下る入口をつけている。竪穴の周壁外に60~70cm間隔に柱を垂直に立て,その間を土で塗り壁をつくる。…
※「廟底溝遺跡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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