中国,元末・明初の文人画家。元末四大家の一人。初名は珽,のち瓚と改名。字は元鎮。号は雲林,荆蛮民,幻霞生など。江蘇省無錫(むしやく)の梅里祗陀村の代々の富家に生まれたが,幼時に父を失い長兄の倪昭奎に養育された。倪昭奎は新道教の全真教に帰依し元朝より真人号を特賜された人物である。倪昭奎の没後,倪瓚は28歳で家産を相続し勤倹につとめたという。邸内に清悶閣を築き数千巻の書籍や多くの古書画,古器物を秘玩し隠逸的生活を送ったが,52歳ころ,突然家財を整理し近親者に分け出郷した。以後20余年にわたる困難に満ちた流寓生活の末に帰郷し,貧困のうちに病没した。幼少より学を好み琴や詩文書画をよくしたが,非常に個性が強く極度の潔癖家で多くの逸事奇行を残している。全真教に帰依したが晩年は禅に深く傾倒したといわれる。山水,墨竹画に逸気あふれる独自の境地を示したが,特に出郷後に確立された蕭散体といわれる簡率な水墨の平遠山水様式は後世に大きな影響をあたえた。著に《清閟閣全集》がある。
執筆者:湊 信幸
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中国、元(げん)代末の画家、詩人。呉鎮(ごちん)、黄公望(こうこうぼう)、王蒙(おうもう)とともに元末の四大家とよばれる。簡素な描法のうちに高い風韻を感じさせる山水や枯木竹石を描き、四大家中気韻第一といわれた。初名は珽(てい)。字(あざな)は元鎮。号は雲林、別に幻霞生(げんかせい)、荊蛮民(けいばんみん)、浄名(じょうみょう)居士、朱陽館主などと号した。江蘇(こうそ)省無錫(むしゃく)の人で、富裕な名家に生まれた。学問、芸術を愛し、邸内に清悶閣などを建て、古書画・古器物・書物を収集し、道教に傾倒し、また張雨、黄公望をはじめ多くの文人と交わり、仕官せず風雅な隠者生活を送ったが、52歳のころ、突然、家財を親近者に分かち与え、妻子とともに流浪の旅に出て20年余の後半生を過ごした。74歳のとき初めて帰郷し、同年病死した。非常に潔癖な性格で、逸話がいくつか伝わる。その描いた山水は、ひっそりとした趣(おもむき)のある独自の画境にたつ山水画様式で「蕭散(しょうさん)体」とよばれた。代表作に『漁荘秋霽(しゅうせい)図』(上海(シャンハイ)博物館)、『容膝斎(ようしつさい)図』(台北・国立故宮博物院)があり、詩集に『雲林詩集』がある。
[星山晋也]
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1301~74
元の画家。無錫(むしゃく)(江蘇省)の人。元四大家の一人であるが,董源(とうげん),巨然(きょねん)の画風よりは,むしろ荊浩(けいこう),関同,李成(りせい)の画風を加えた平遠山水に長じ,奇異な性格を反映した独自の画風をなし,四大家中気韻第1と称される。晩年道教や仏教に帰依した。
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…中国,元末から明初にかけて活躍した黄公望,呉鎮,倪瓚(げいさん),王蒙の4人の文人画家。ともに董源,巨然を学び元初の趙孟頫(ちようもうふ)などの復古主義の成果をふまえ,おのおのが強い個性を反映して独自の山水画様式を樹立した。…
…樹木は人物・山水・花鳥画の重要な構成要素であり,古来多くの画法が発明された。唐の韋偃(いえん)は竜をかたどった松,張璪は孤高におごる松,宋の李成・郭熙は君子を象徴すると同時に奇怪な寒林,米友仁は無根樹,馬遠は車輪蝴蝶の松,元の倪瓚(げいさん)はまばらな蕭散とした雑樹をかいた。また根,幹,枝,葉の各部も多様に分かれ,根は露根,枝は鹿角,蟹爪,葉は点葉,夾葉などの画法があった。…
※「倪瓚」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...
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