日本大百科全書(ニッポニカ) 「張昭」の意味・わかりやすい解説
張昭
ちょうしょう
(156―236)
中国、三国呉(ご)の官僚。字(あざな)は子布(しふ)。彭城(ほうじょう)郡(江蘇(こうそ)省徐州(じょしゅう)市)の人。戦乱を避けて、江東(こうとう)に移住し、後漢の孫策(そんさく)の丁重な招きに応じて配下となった。孫策は死に臨んで、弟の孫権(そんけん)に「国内のことは張昭に問え」と遺言している。赤壁(せきへき)の戦いの際には、曹操(そうそう)への降服を唱え、やがて孫権と対立する。孫権は丞相(じょうしょう)を置く際に、百官が推薦する張昭の任命を二度にわたって拒否し、皇帝としての即位の場で、張昭の降服論を非難した。しかし、張昭は呉を代表する名士として尊敬を集め、江東の名士や豪族の支持を背景に、孫権に諫言(かんげん)を続けた。遼東(りょうとう)の公孫淵(こうそんえん)の帰順を受け入れるべきではないと厳しくいさめた際には、無視されると出仕しなくなった。公孫淵が張昭の諌言どおり裏切ると、孫権は張昭の家に謝罪に行くが、出てこない。孫権は門に火をつけて張昭を脅し、ようやく宮中に連れ帰って謝罪した。『三国志演義』では、降服論者の筆頭として論戦を挑み、諸葛亮(しょかつりょう)(孔明(こうめい))に言い負かされている。
[渡邉義浩]
『渡邉義浩著『「三国志」軍師34選』(PHP文庫)』