朝日日本歴史人物事典 「後深草院二条」の解説
後深草院二条
生年:正嘉2(1258)
鎌倉時代の日記文学作者。二条とも。大納言源雅忠と後嵯峨院大納言典侍(四条隆親の娘)の子。2歳で母を亡くし,4歳から後深草上皇の御所で育ち,14歳の年,上皇の寵愛を受けるが,15歳で父に先立たれ,生んだ皇子の夭折に遭う。幼なじみの西園寺実兼に言い寄られ,ひそかに契り秘密裡に出産。仁和寺御室(11代)の性助法親王(一説に10代御室の法助法親王)にも恋を告白され,上皇の許しにより逢瀬を持ったが,法親王は病没,その後御所を退いた。31歳ごろ出家し,西行に倣って鎌倉,伊勢,奈良,厳島,坂出などへ修行の旅に出る。旅先で上皇(のち法皇)と再会して旧交を温めあったが,やがてその死に遭い,三回忌までを迎えたことが自伝『とはずがたり』にある。この自伝全5巻の前3巻には華やかな後宮生活と愛欲の苦悩が,後2巻には出家後の修行生活が回想される。特異な体験が興味をひくが,それだけでなく,構成,文体ともにすぐれ,一貫する人生史を構築したところが高く評価されよう。<参考文献>松本寧至『とはずがたりの研究』
(三角洋一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報