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「後深草院二条」の意味・わかりやすい解説
後深草院二条【ごふかくさいんのにじょう】
鎌倉後期の日記文学《とはずがたり》の作者。父は中宮大納言源雅忠,母は四条大納言藤原隆親の女(むすめ)近子。後深草院に仕えて二条と呼ばれ,寵愛を受けたが,一方で西園寺実兼,関白鷹司兼平,院弟の性助法親王らと関係を持ち,亀山天皇とも噂を立てられるなど,恋多き女性であった。やがて宮仕えを退くが,伏見天皇中宮永福門院の入内に伴い再出仕,三条と呼ばれた。その後出家して東国,四国などを巡り,帰京後に《とはずがたり》を執筆した。
→関連項目問はず語り
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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後深草院二条
ごふかくさいんにじょう
[生]正嘉2(1258).京都
[没]徳治1(1306)以後
鎌倉時代後期の後宮女房。『とはずがたり』の作者。父は大納言久我 (中院) 雅忠,母は四条隆親の娘大納言典侍。後深草天皇に養われ,長じてその女房となり,寵愛された。また,西園寺実兼その他とも交渉をもった。のち宮仕えを辞し,東国,四国,中国地方などに旅をした。『とはずがたり』はその自伝的作品。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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後深草院二条 ごふかくさいんの-にじょう
1258-? 鎌倉時代の日記文学作者。
正嘉(しょうか)2年生まれ。父は源雅忠,母は四条隆親(たかちか)の娘近子。後深草上皇につかえ,女房となる。正応(しょうおう)元年出家し,翌年から諸国を遊歴。生涯を回想した「とはずがたり」には,当時の宮廷生活や旅の思い出などがえがかれている。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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世界大百科事典(旧版)内の後深草院二条の言及
【問はず語り】より
…5巻。著者は後深草院二条(ごふかくさいんのにじよう)で,久我雅忠の女。巻一~三は,著者14歳の1271年(文永8)から28歳までの宮廷生活の回顧で,巻四,五は,出家の後,32歳の1289年(正応2)から始まる諸国行脚の紀行を記し,1306年(徳治1)後深草院三回忌で筆をおく。…
※「後深草院二条」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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