鎌倉末期の女流歌人。第92代伏見(ふしみ)天皇の中宮。「ようふくもんいん」とも読む。西園寺実兼(さいおんじさねかね)の女(むすめ)、藤原鏱子(しょうし)。京極(きょうごく)派を代表する。1288年(正応1)入内立后(じゅだいりっこう)。天皇の好尚に従い京極為兼(ためかね)の革新的な歌風を学び、歌合(うたあわせ)などに活躍、『玉葉集』に49首、『風雅集』に69首入集(にっしゅう)した。「花の上にしばしうつろふ夕づく日入るともなしにかげ消えにけり」など美しい自然詠に優れ、恋歌にも秀歌がある。実子なく、猶子(ゆうし)後伏見天皇、花園(はなぞの)天皇を鞭撻(べんたつ)して京極派歌風を次代に伝えるとともに、南北朝直前の皇統対立期に持明院統(じみょういんとう)内の融和に力を尽くした。康永(こうえい)元年5月7日没。『永福門院百番御自歌合』をはじめ、勅私撰集(ちょくしせんしゅう)、歌合など、作品総計431首(実数371首)。
[岩佐美代子]
『竹西寛子著『日本詩人選14 式子内親王・永福門院』(1972・筑摩書房)』▽『岩佐美代子著『永福門院 その生と歌』(1976・笠間書院)』
〈ようふくもんいん〉とも読む。鎌倉末期の女流歌人。父は太政大臣西園寺実兼,母は内大臣源通成女従一位顕子。名を鏱子(しようし)という。伏見天皇中宮となったが,1288年(正応1)入内の日の模様は《増鏡》にくわしい。京極為兼の指導をうけ,伏見院,為子(為兼妹)らとともに,京極派の中心歌人として,諸歌合に参加したりみずからも主催するなど,積極的に活動した。自然現象と恋愛感情を類型にとらわれないでこまやかにとらえようとした叙景歌や抒情歌を作り,京極歌風を推進した。《玉葉集》には49首入集。夫君没後は花園天皇を指導し,《風雅集》にも69首入る。晩年の自撰とされる《永福門院御自歌合》200首に,〈真萩散る庭の秋風身にしみて夕日の影ぞ壁に消えゆく〉など,門院の和歌の精髄が見られる。
執筆者:上条 彰次
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…夫君没後は花園天皇を指導し,《風雅集》にも69首入る。晩年の自撰とされる《永福門院御自歌合》200首に,〈真萩散る庭の秋風身にしみて夕日の影ぞ壁に消えゆく〉など,門院の和歌の精髄が見られる。【上条 彰次】。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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