改訂新版 世界大百科事典 「問はず語り」の意味・わかりやすい解説
問はず語り (とわずがたり)
鎌倉時代の日記文学。5巻。著者は後深草院二条(ごふかくさいんのにじよう)で,久我雅忠の女。巻一~三は,著者14歳の1271年(文永8)から28歳までの宮廷生活の回顧で,巻四,五は,出家の後,32歳の1289年(正応2)から始まる諸国行脚の紀行を記し,1306年(徳治1)後深草院三回忌で筆をおく。著者の父方は村上天皇皇子具平(ともひら)親王の血を引き,祖父に太政大臣を出した名門であり,母も西園寺実氏の室,北山准后の実家四条家の出であった。しかし2歳で母に死別したため,幼時より母の仕えた後深草院のもとで育てられ,14歳で院の寵愛を受けるようになる。ところが,やがて〈雪の曙(あけぼの)〉と呼ばれる恋人と院の目を盗んで会う仲になり,院と〈雪の曙〉の2人の男性の子を相ついで出産するという三角関係が巻一で語られる。さらに巻二,三では新たに〈有明の月〉という高僧の求愛を受け,〈有明〉との間の子の出産,および彼の死を記す。このような情事の告白を主として,その間に後深草院宮廷での生活が点描されるが,著者の地位は父の早世もあって安定したものではなく,後深草院の中宮(東二条院)の不興をこうむったり,また複雑な男女関係のもつれから後深草院の寵愛も薄れて,宮廷を退くことになる。その後出家して鎌倉を中心とする東国への旅に出るが(巻四),45歳のときには再度,厳島,足摺岬(土佐),白峰(讃岐),吉備津宮などを巡る西国の行脚を行った(巻五)。当時の貴族女性にはまれなこの諸国行脚については,著者が幼時に感銘を受けたという〈西行が修行の記〉の影響が大きい。
本書は,後深草・亀山両天皇にはじまる両統迭立(てつりつ)時代の貴重な裏面史としての一面も有し,《増鏡》にも本書からの引用が見いだされるが,その叙述は必ずしも事実をありのままに記したものではなく,ことに著者をめぐる男女関係の記述にはかなりの虚構と修飾が施され,しばしば《源氏物語》の登場人物たちの関係になぞらえて述べられている。中世以後,本書は久しくうずもれていたが,昭和になって宮内庁書陵部に蔵される唯一の伝本が発見され,流布するにいたった。なお《The Confessions of Lady Nijo》《Nijo's Own Story》という題での英訳もある。
執筆者:今西 祐一郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報