コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

問はず語り とわずがたり

百科事典マイペディアの解説

問はず語り【とわずがたり】

鎌倉後期の日記。後深草院に仕えた二条(後深草院二条。久我雅忠の女)の1271年―1306年の間の日記。5巻。宮廷関係の記事とともに,後深草院の寵愛,〈雪の曙〉〈有明の月〉らとの情事,それらの複雑な三角関係など作者の愛欲生活の赤裸な記述に,また後半,宮廷を退いたあと,出家し,東国へ,また西国行脚と諸国を旅するが,そのおりの紀行文に,特色がある。
→関連項目岩淵

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト百科事典マイペディアについて | 情報

世界大百科事典 第2版の解説

とわずがたり【問はず語り】

鎌倉時代の日記文学。5巻。著者は後深草院二条(ごふかくさいんのにじよう)で,久我雅忠の女。巻一~三は,著者14歳の1271年(文永8)から28歳までの宮廷生活の回顧で,巻四,五は,出家の後,32歳の1289年(正応2)から始まる諸国行脚の紀行を記し,1306年(徳治1)後深草院三回忌で筆をおく。著者の父方は村上天皇皇子具平(ともひら)親王の血を引き,祖父に太政大臣を出した名門であり,母も西園寺実氏の室,北山准后の実家四条家の出であった。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

問はず語り
とわずがたり

鎌倉後期の日記文学。五巻。成立は1306年(徳治1)以後。1313年(正和2)までに成立していたことは確かである。作者は中院雅忠(なかのいんまさただ)の女(むすめ)、後深草(ごふかくさ)院二条。のちに三条とよばれたこともある。1258年(正嘉2)生まれ。没年未詳。
 内容は二条14歳、1271年(文永8)より49歳までのことであり、前三巻は宮廷編もしくは愛欲編、後二巻は紀行編もしくは修行編ともいえる。後深草院の寵愛(ちょうあい)を受けたことから始まるが、ほかに「雪の曙(あけぼの)」(西園寺実兼(さいおんじさねかね))、「有明の月」(仁和寺性助(にんなじしょうじょ)法親王ともするが仁和寺准后(じゅごう)法助がよい)、「近衛大殿(このえのおおとの)」(鷹司(たかつかさ)兼平)、亀山院などとも男女の交渉をもつ。こうして華やかな生活を送るが、やがて寵衰えて御所を退出する(前編)。かねて信仰と文学とに自由に生きた歌僧西行(さいぎょう)にあこがれを抱いていたが、退出を契機に出家を果たし、諸国行脚(あんぎゃ)の旅に出る。1289年(正応2)東海道を下り鎌倉に至り、諸社寺を参拝、おりから将軍惟康(これやす)親王が廃され、後深草皇子久明親王が新将軍として下向するのに際会。さらに善光寺に参って帰京。1302年(乾元1)安芸厳島(あきいつくしま)に詣(もう)で、四国を回り足摺(あしずり)岬にも行ったとする。備後(びんご)国和知(わち)(広島県三次(みよし)市和知町)に滞在して帰京、後深草崩御にあう。記述はその三回忌まで。宮廷での華やかな思い出、西行を慕っての旅の記念に『問はず語り』を書いたことを述べる(後編)。興味深い内容と雄大な構想とで中世日記文学の最高傑作。歴史物語『増鏡(ますかがみ)』に大幅に採用された。[松本寧至]
『福田秀一校注『新潮日本古典集成 とはずがたり』(1978・新潮社) ▽久保田淳校注・訳『完訳日本の古典38・39 とはずがたり』(1985・小学館) ▽玉井幸助著『とはずがたり研究大成』(1971・明治書院) ▽松本寧至著『とはずがたりの研究』(1971・桜楓社) ▽松本寧至著『中世女流日記文学の研究』(1983・明治書院)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について | 情報 凡例

問はず語りの関連キーワードとはずがたり豊明絵草紙紀行文学鎌倉時代永井荷風崩し出づ為出づ

今日のキーワード

分水嶺

1 分水界になっている山稜(さんりょう)。分水山脈。2 《1が、雨水が異なる水系に分かれる場所であることから》物事の方向性が決まる分かれ目のたとえ。...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android