モンゴリア(英語表記)Mongolia

翻訳|Mongolia

精選版 日本国語大辞典 「モンゴリア」の意味・読み・例文・類語

モンゴリア

  1. ( Mongolia ) 中国本土とシベリアの間にあるモンゴル人の居住地域。ゴビ砂漠を境に内モンゴル外モンゴルとに分けられ、南側の内モンゴルには中華人民共和国内モンゴル自治区が、北側の外モンゴルにはモンゴル国およびロシア連邦のブリヤート自治共和国・トゥバ自治共和国がある。蒙古。

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改訂新版 世界大百科事典 「モンゴリア」の意味・わかりやすい解説

モンゴリア
Mongolia

モンゴル人の土地の意。蒙古とも呼ばれる。おもにモンゴル国(156万6500km2)と中国の内モンゴル(蒙古)自治区(110万km2)を併せた領域を指す。

全体として標高1000m前後の高原状をなす草原地帯である。中央部はゴビと呼ばれる乾燥地帯で,砂漠もしくは草の少ない荒地となっている。一般にゴビの北を漠北(外モンゴル),南を漠南(内モンゴル)と呼んでいるが,歴史的にモンゴリアを二分する境界線の役割を果たしてきた。

 降水量は少なく,ゴビ付近では年降水量50mm以下の所もある。それより北,および南に進むにつれて雨量も増え,多い所では300mm以上にもなる。寒暖の差もはげしく,8月には最高気温は30℃以上にもなるが,1月には最低気温が-40℃以下になることもある。河川は内モンゴル自治区を流れる黄河,シラムレン,モンゴル国を流れるセレンゲ,トラ,オルホン,ヘルレン,ザブハン等が目だつ。一般に小規模な内陸河川が多い。森林は陰山山脈の北斜面のほか,モンゴル北部の山岳地帯に発達している。

モンゴリアは遊牧民揺籃(ようらん)の地といわれるように古くから遊牧民族の活動舞台であった。その中でモンゴリアを初めて統一したのは匈奴である。前209年,匈奴に冒頓単于(ぼくとつぜんう)が立つと周囲の遊牧民族を下して,北アジア初の遊牧騎馬民族国家を作りあげた。匈奴はさらに甘粛,ジュンガリアタリム盆地にまで勢力を広げ,そこを通る東西交通路を支配した。同じころ中国には漢が成立したが,当初匈奴の軍事的圧力に屈し,毎年莫大な食糧,絹織物等を与えねばならなかった。漢に武帝(在位,前141-前87)が立つと,匈奴に対し積極策に出た。武力でまず甘粛一帯から,つぎに内モンゴル,タリム盆地からも匈奴の勢力を追った。このため匈奴は大きな打撃をうけて勢力を後退させた。その後匈奴は内紛を繰り返し,ついに48年(建武24)には南北に分裂した。

 このうち南匈奴は長城一帯に移り後漢の保護を求めた。北匈奴は後漢と対立したが91年(永元3)敗れその本拠地を西のイリ地方にうつした。匈奴ののち,外モンゴルを丁零(ていれい)が,内モンゴルを鮮卑(せんぴ)が支配した。このうち鮮卑は3世紀前半に分裂し,有力な部族が各地に割拠した。なかでも拓跋氏(たくばつし)はその本拠地を内モンゴルからしだいに長城内にうつし,のちに北魏を建て,中国北部を支配した。4世紀後半南下した鮮卑のあとをうけてモンゴリアを支配したのは柔然(じゆうぜん)である。柔然はさらにジュンガリアからタリム盆地にまで勢力を広げた。402年即位した柔然の長,社崙(しやろん)は丘豆伐可汗(きゆうとうばつかがん)と称したが,北アジアの君長が可汗kaghanを唱えたのはこれが初めてであるという。

 6世紀になると柔然は内紛と,支配下にあった諸部族の離反によって衰えた。これに代わり6世紀半ば,アルタイ地方にいたトルコ族の突厥(とつくつ)が勃興した。突厥はもともとは柔然に隷属し鉄製品を作っていたという。555年,突厥は柔然を滅ぼしてモンゴリアを支配するとともに,中央アジア一帯にまでその領域を広げた。モンゴリアはこれ以後トルコ族の支配する時代に入る。突厥の中心は漠北,オルホン川沿岸のウチュケン山にあり,北周,北斉,隋と相対し強盛を誇った。しかし583年,内紛から東西に分裂し,さらに630年(貞観4)には東突厥は唐によって滅ぼされた。モンゴリアは薛延陀(せつえんだ)がしばらく支配したが,647年,唐は直接支配にのり出し,瀚海(かんかい)都護府を設置してこれを監督した。しかし682年(永淳1)突厥が復興し,741年までモンゴリアを支配した。突厥のあとをうけて744年,トルコ系鉄勒(てつろく)の一派ウイグル族(回紇,回鶻)がモンゴリアの盟主となった。唐とも緊密な関係を持ち,とくに755年(天宝14)に起きた安史の乱においては唐を助けて乱の鎮圧にあたった。ウイグルはこの見返りに莫大な絹布を要求し,唐の財政を圧迫した。ウイグルの中心はオルホン川付近にあり,オルド・バリク(回鶻城)と呼ばれる都城を建設した。オルド・バリクは漠北の政治,経済,文化の中心として栄えた。

 しかし840年,トルコ系のキルギス族がオルド・バリクを襲撃してこれを陥れ,ウイグルは滅びた。ウイグル人の一部は西走したが,その一派は天山一帯に天山ウイグル王国を建設し,新たな文化を築いた。10世紀の初め,モンゴリア東部にモンゴル系の契丹(きつたん)族が起こり,契丹帝国を建てた。その太祖,耶律阿保機(やりつあぼき)はモンゴリアから甘粛一帯にまで遠征して勢力を広げた。第2代の太宗はさらに華北の一部にまで進出し国号を遼とした。12世紀初め,満州一帯にいた女直(女真)族は遼から独立して金を建国,1125年(天会3・遼の保大5)には遼を滅ぼして,華北全体に領域を広げた。しかし金はモンゴリアへは力を伸ばすことができず,モンゴリアはトルコ系,モンゴル系の大小の遊牧集団が互いに争うようになった。

 12世紀末,モンゴル部にテムジンチンギス・ハーン)が現れ,モンゴル族を統一,さらに1206年に,モンゴリア全体を統一した。チンギス・ハーンはその後西夏,金への遠征を行うとともに,19年には中央アジアへ兵を進め,ホラズム王国を滅ぼした。ここにモンゴル帝国は未曾有の広大な領域を持つにいたったが,その遠征事業はチンギス・ハーンの子孫にうけつがれ,34年(天興3)には金,1230年代後半に南ロシア,58年アッバース朝,79年(祥興2)には南宋がその領域に入った。この時代,交通路が整備され東西交易が活発に行われ,とくに中国やアラビアの科学技術は相互に大きな影響を与えた。しかし広大な領域を持ったモンゴル帝国も,1241年オゴタイ・ハーンの死後,ハーンの後継者をめぐって内紛が起き,13世紀後半には元朝と4ハーン国に分裂した。モンゴリアは元朝の支配下に置かれたが,この間非モンゴル系の諸部族も,しだいにモンゴル化していったと思われ,ここにモンゴリアは真の意味でのモンゴリア(モンゴル人の土地)となった。

 1368年(至正28),元朝は明によって滅びたが,モンゴリアはその後20年にわたり,元朝の末裔によって支配された。明はこれを北元と呼んだ。その後,西モンゴルのオイラートの勢力が浸透し,とくにトゴン,エセンの活躍が目だっている。15世紀末,チンギス・ハーンの後裔としてダヤン・ハーンが出現すると,チンギス・ハーン家を復興し,またモンゴリアの統一に努めた。しかしダヤン・ハーンの死後モンゴリアは分裂し,彼の子孫が各地に割拠した。16世紀半ばには孫のアルタン・ハーンの活躍が目覚ましく,明人をしばしば恐怖に陥れた。16世紀末から,中国東北部にあったツングース系の満州族が台頭し,後金(のちの清朝)を建て,モンゴル最後の大ハーン,リンダンと対立した。しかし1634年リンダン・ハーンは青海地方で病死し,内モンゴルは清朝の領域に入った。また91年(康煕30)には清朝のジュンガル征略の過程で外モンゴルも清朝に帰属した。

 清朝はモンゴル人の保護のため,漢人農耕民のモンゴリアへの移住を禁止したが,清朝中期以後,この禁を破って多くの漢人農耕民がモンゴリアへ入り,農耕地をひらいたため,しだいにモンゴル人を圧迫していった。1911年(宣統3)辛亥革命によって清朝が倒れると,内・外モンゴルともに独立の運動が起きたが,外モンゴルはロシア,さらにはソ連の後押しもあって,21年に独立を達成,モンゴル人民共和国となった。しかし内モンゴルは中国にとどまり,49年,中華人民共和国成立後,内モンゴル自治区となった。
内モンゴル自治区 →モンゴル

モンゴリアの住民はおもに遊牧民であり,牧畜を生業とした。主たる家畜は,馬,牛,羊,ヤギ,ラクダである。農耕も古くからオアシスを利用して行われたが,それはおもに中国から連行されたか,逃亡した農耕民が従事した。食物は種々の乳製品,狩猟によって得た動物,もしくは一部家畜の肉,穀物であるが,唐代後半に中国から茶も入り,のちに遊牧民の間に普及した。住民はモンゴル語でゲル(中国語で包(パオ))と呼ばれる,フェルト製の簡便な天幕を用いた。都城の建築は早くからあったらしいが,ウイグル時代より大きな都城建設がみられ,例えばウイグルのオルド・バリク,遼の上京臨潢府(じようけいりんこうふ),モンゴルのカラコルム等は大規模なものとして知られる。また16世紀以降モンゴリアにラマ教(チベット仏教)が浸透したことから,各地に多くの寺院が建設され,のちにはこれを中心に都市が発達する例も多くみられた。

 モンゴリアの遊牧民の宗教は古くはシャマニズムであった。中国側の文献には彼らが巫覡(ふげき)を敬ったと記されている。シャーマンたちは遊牧民のあいだに大きな力を持ったが,単于や可汗など遊牧国家の君長は,また最高のシャーマンでもあった。その後モンゴリアにはさまざまな宗教が入ったが,ウイグル人にはマニ教が,契丹人のあいだには仏教が信仰された。またモンゴル帝国時代のモンゴル人にはラマ教,キリスト教(ネストリウス派)が信仰された。このうちチベットから入ったラマ教はモンゴルの支配層のあいだに広まったが,一般の遊牧民にまでは浸透せず,元朝が滅びるとすたれたという。しかし16世紀後半,チベットからラマ教が新たに流入し,その後,清朝の保護をうけたこともあって,一般の遊牧民にまで浸透した。このためシャマニズムは大きく後退した。

 モンゴリアの遊牧民の中で,最も早く自分の文字を持ったのは突厥で,7世紀末のことである。この突厥文字は,彼らに強い文化的影響を与えていたソグド人のソグド文字(ソグド語)から作成されたものである。ウイグルも突厥文字を利用していたが,のちにタリム盆地にうつったウイグル人たちはやはりソグド文字を利用してウイグル文字を作った。また契丹人も10世紀初めに耶律阿保機の指示により契丹文字を,モンゴル人も13世紀初めチンギス・ハーンの命令によりウイグル文字を利用してモンゴル文字を持った。これらの文字の作成は中国の文化に対する対抗意識と,新興遊牧国家のナショナリズムの生み出したものとされる。

 遊牧民社会は比較的後世まで血縁に基づいた集団を保持し,氏族,部族を基本単位とした。匈奴以来の古代遊牧国家は,部族連合国家であったとする見方が有力である。すなわち,支配氏族,部族は,被支配諸部族の持つ固有の部族構造を変えずに,連合,従属させたもので,部族間の対立はあっても階級的対立は希薄であった。しかしウイグルを境に異なった傾向が現れた。すなわち南の農耕地帯を単に侵入,略奪することから,恒常的に支配しようとするにいたったことである。遼は燕雲十六州という,華北の一部を支配したにすぎないが,金は華北全土を,また元は中国全土を支配した。これらは清と併せて中国征服王朝と呼ばれる。こうした遊牧民の農耕地帯への進出はモンゴリアの遊牧社会に起きた変化の現れといえる。遊牧集団は血縁的性格から地縁的性格へと変わっていった。国家もしだいに封建的要素を強め,モンゴル帝国以後,それは決定的になった。牧地は個人的所有物ではなく,氏族・部族その他遊牧集団のものとされた。牧地をめぐる集団間の争いがしばしば起き,力関係によって牧地が大きく移動することがよくみられた。しかし清朝の支配下に入ると境界線が引かれ,牧地は固定された。
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山川 世界史小辞典 改訂新版 「モンゴリア」の解説

モンゴリア
Mongolia

モンゴル高原ともいう。東は大興安嶺から西はアルタイ山脈,南は陰山山脈から北はシベリア南辺に至るステップ草原地帯。約250万km2。南部は南(内)モンゴル,北部は北(外)モンゴルと呼ばれる。古来多くの遊牧国家が成立したが,そのうち柔然(じゅうぜん)契丹(きったん)などはモンゴル系,高車(こうしゃ)突厥(とっけつ)ウイグルなどはトルコ系に属する。9世紀におけるウイグルの西方移動以後モンゴル系遊牧民の住地となり,13世紀のチンギス・カンによる大モンゴル国(ウルス)(モンゴル帝国)建国後,モンゴルの名がこの地域全体の名となった。元朝の北帰後はモンゴルとオイラトの両勢力が抗争し,明にも侵入したが,15世紀末にダヤン・ハーンがオイラトを抑え,後世のモンゴル諸部族の基礎をつくった。17世紀には清朝の支配下に入った。1911年に北モンゴルでは独立運動が起こり,21年の人民革命をへてモンゴル人民共和国となった。南モンゴルでは民国時代に省制がしかれたが,30年代には日本の進出により東部の満洲国と西部の徳王政権に分割された。47年に中国内蒙古自治区が成立,現在に至る。社会主義時代には内外モンゴルとも近代化が進み,鉱工業も起こった。牧畜が主要産業だが,内蒙古自治区東部・南部やモンゴル国北部では農耕も行われている。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「モンゴリア」の意味・わかりやすい解説

モンゴリア
もんごりあ
Mongolia

中央アジア東部のモンゴル人が居住する地域。モンゴル高原をさし、モンゴル国と中国の内(うち)モンゴル自治区を中心とする。12~14世紀には、この地を中心にモンゴル帝国が栄えた。

[編集部]

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