御原郡(読み)みはらぐん

日本歴史地名大系 「御原郡」の解説

御原郡
みはらぐん

筑後国北西端に位置し、北は筑前国御笠みかさ郡、北東は同国夜須やす郡、南は御井みい郡、西は肥前国基肄きい郡に接する。およそ近世の郡域は現在の小郡市中北部と三井みい大刀洗たちあらい町北部に相当する。古代から近世まで御原・三原の表記が混用されている。

〔古代〕

和名抄」諸本は「御原」に作り、東急本は「三波良」の訓、名博本は「ミハラ」の傍訓を付す。郡名の初見は「肥前国風土記」基肄郡姫社郷条にみえる「御原郡姫社の社」とされる。延喜五年観世音寺資財帳の水田章には、和銅二年(七〇九)一〇月二〇日の太政官符によって観世音寺(現太宰府市)に施入された筑後国の墾田一六町が記されているが、そのなかに「三原郡捌町」がみえる。隣接する御井郡にあたる現久留米市のヘボノ遺跡、あるいは御原郡にあたる現小郡市の井上薬師堂いのうえやくしどう遺跡からは「三原」と記された墨書土器も出土している。御原郡については、そのほぼ中央部に所在する現小郡市の上岩田かみいわた遺跡や井上薬師堂遺跡などの発掘調査の進展、およびそこから発見された木簡・墨書土器といった出土文字資料によって貴重な手掛りが得られている。「和名抄」には管郷として長栖ながす日方ひかた板井いたい川口かわぐちの四郷が載るが、井上薬師堂遺跡出土木簡の釈文再検討(木簡研究二二)によって、七世紀後半代に「丙里」(丙部里)が存在していたと考えられるようになった。御原郡の郡衙推定地として現小郡市の小郡官衙遺跡があげられるが、同じく御原郡にあたる現大刀洗町の下高橋しもたかはし官衙遺跡では東西約一五〇メートル・南北約一七〇メートル以上にわたる溝に仕切られた区画内から官衙様の建物跡群が確認された。その規模からして、下高橋官衙遺跡も郡衙クラスの遺構とみられ、時期的に両者は重なり合う部分があるため、郡衙が小郡官衙遺跡から下高橋官衙遺跡へと移転したとみる説がある。これに対して小郡官衙遺跡を郡衙とは異なる性格をもつものとみる説もある。御原郡の条里については、東の夜須郡との境界部分、南の御井郡との境界部分、および宝満川流域の一部などにおいて復元が試みられている。現小郡市大保に所在する御勢大霊石みせたいれいせき神社は筑後四式内社の一つの同名社に比定される。

〔中世〕

当郡の庄園としては、北部に最勝光さいしようこう(現京都市東山区)三原みはら庄、南部に肥前修学しゆうがく(現佐賀県東脊振村)板井庄・安楽寺(太宰府天満宮)領岩田庄(いずれも現小郡市)東部に同寺領高樋たかえ(高比)庄・守部もるべ(現大刀洗町)が成立している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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