御弓町
おゆみまち
[現在地名]米沢市下花沢三丁目
鉄砲町の北にある下級家臣(原方衆)屋敷町。信濃町から北に延びる南北道に沿う両側町。花沢八町のうち北端、浅川村・新田村などへの出入口に位置し、元禄二年(一六八九)当町に新しく番所が設置された(「岩瀬小右衛門覚書」市立米沢図書館蔵)。文化八年(一八一一)の城下絵図には番所はみえない。
御弓町
おゆみちよう
[現在地名]小倉北区馬借三丁目
東曲輪の南東に位置する。香春口門の東から寒竹川河岸までの東西に連なる町並で、細川氏の時代、安国寺橋を越えて香春口番所前に出るところが「御弓町出来今の通り筋」という(倉府俗話伝)。幕末の藩士屋敷絵図では武家屋敷のみで北側に八軒、南側に九軒。
御弓町
おゆみちよう
[現在地名]盛岡市山岸二丁目
山岸町の北東につづく二町ほどの組町(内史略本「盛岡砂子」など)。持弓同心組を置いて、城下町外側の警備にあてた。東は下米内村、西は山岸村に接し、北へ野田街道(小本街道)が延びる。「内史略」によれば、寛文九年(一六六九)持弓同心を五駄二人扶持で召抱え、「御持弓頭御家老楢山七左衛門組三十人」とある。元文城下図に御持弓御同心丁とみえ、両側町に布施渡組と記される。
御弓町
おゆみのちよう
[現在地名]鳥取市御弓町
大榎町の南にある武家屋敷地。町名は御先手の射手徒士の屋敷があったことにちなむ(因幡志)。南西端は惣堀に至り、土手筋第三番の出口となる。町内には荒神やしき、どんどの土手の下などの字があった(鳥府志)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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