御浜(読み)みはま

日本大百科全書(ニッポニカ) 「御浜」の意味・わかりやすい解説

御浜(町)
みはま

三重県最南端に近い南牟婁郡(みなみむろぐん)にある町。1958年(昭和33)阿田和(あたわ)町と市木尾呂志(いちぎおろし)、神志山(こうしやま)の2村が合併して成立。熊野灘(なだ)の七里(しちり)御浜に面し、町名もそれにちなんで命名された。沿岸は平坦(へいたん)で、耕地集落が開けるが、内陸部は険しい紀伊山地で占められる。JR紀勢本線、国道42号、311号、オレンジロード(県道141号)が通じる。かつて市木木綿などを産する農漁村であったが、地引網漁業の衰退により、温暖な気候を利して1971年から丘陵地に500ヘクタールもの大規模柑橘(かんきつ)園を開く国営事業が行われ、「年中ミカンのとれる」町に変貌(へんぼう)した。七里御浜吉野熊野国立公園域に含まれる。七里御浜を通る熊野古道は世界遺産に登録された「紀伊山地霊場と参詣道」の一部であり、「熊野参詣道」として国の史跡にも指定されている。町中部の阪本地区は紀州犬(国指定天然記念物)の発祥の地とされている。面積88.13平方キロメートル、人口8079(2020)。

[伊藤達雄]

『『御浜町誌』(1982・御浜町)』


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改訂新版 世界大百科事典 「御浜」の意味・わかりやすい解説

御浜[町] (みはま)

三重県南部,南牟婁(みなみむろ)郡の町。人口9376(2010)。東は七里御浜砂浜海岸で熊野灘に面し,北西部の山地から流れ出る市木川,尾呂志(おろし)川の流域沖積低地が開ける。古代は紀伊国牟婁郡神戸郷に含まれ,熊野の神領地であったと考えられる。室町時代には上野(うわの)に城を構えた尾呂志氏が勢力を有したが,熊野別当の出という新宮の堀内氏の支配下に属した。江戸時代は町域の大部分が紀州藩新宮領(水野氏)であった。温暖多雨の気候にめぐまれ,山腹斜面を利用したかんきつ類の栽培が盛ん。ウンシュウミカン,ナツミカンなどの生産量は県下随一で,青切ミカンの特産がある。研究機関の紀南柑橘センター(現,三重県農業研究所紀南果樹研究室)もあり,町内を広域農道オレンジロードが走る。七里御浜を海岸沿いにJR紀勢本線と国道42号線が通り,町域中央北寄りを国道311号線が通る。
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百科事典マイペディア 「御浜」の意味・わかりやすい解説

御浜[町]【みはま】

三重県南部,熊野灘に面する南牟婁(みなみむろ)郡の町。古くからミカンをはじめとした柑橘(かんきつ)栽培が盛ん。海岸の七里御浜は吉野熊野国立公園の一部。紀勢本線が通じる。88.13km2。9376人(2010)。

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