非行少年、保護者のない少年、親権者から入院出願のあった少年などを保護し教育するための福祉施設。1933年(昭和8)の少年教護法の制定で少年教護院、47年(昭和22)の児童福祉法制定以後は教護院となった。1884年(明治17)池上雪枝(ゆきえ)が大阪に設けた神道祈祷(きとう)所をはじめとして、翌85年には高瀬真卿の私立予備感化院(後の東京感化院)、86年には千葉感化院、また留岡幸助(とめおかこうすけ)の家庭学校(東京)など、1900年(明治33)感化法制定までに各地に私立の感化院が設立され、少年保護事業に重要な役割を演じた。1908年現行刑法施行に伴う感化法の改正により、全国各府県に設置が義務づけられるようになり、非行少年に対する施設内処遇の基礎となった。なお1997年6月の児童福祉法改正に伴い、98年4月より教護院は児童自立支援施設に改称された。
[須々木主一]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
…従来の教護院の対象(〈不良行為をなし,または,なすおそれのある児童〉に限定)と機能(従来は〈入所〉のみ)を拡充したものである。教護院は感化院,少年教護院の後身で,全国に57施設あり,内訳は,国立2施設(武蔵野学院,きぬ川学院),私立2施設(北海道家庭学校,横浜家庭学園),他は公立である(1996)。なお,武蔵野学院には,教護事業職員養成所が付設されている。…
…資本主義の発展とともに犯罪が増加して,犯罪対策の必要性が高まり,とりわけ可塑性に富む青少年に対しては,成人犯罪者から分離して処遇することが為政者の課題となった。日本では,その試みは1870年代から80年代にかけて懲治制度として始められたが,それは教育の名に値するものではなく,1884年池上雪枝が大阪に感化院を創設したのにつづいて民間感化事業家たちによる私立感化院設立運動がおこり,政府もようやく1900年に感化法を公布した。しかし,公立感化院教育も懲戒的要素が強く,その成績は不振であった。…
…外国には私立の少年院もあるが,日本ではすべて国立の施設である(3条)。日本では明治期にまず民間の主導で感化教育が始められ,内務省がこれを推進して私立および公立の感化院が設けられた。しかし大正期には,司法省も少年法の制定に努力し,1922年旧少年法とともに矯正院法を制定して,矯正院を発足させた。…
…児童自立支援施設は,不良行為をし,または不良行為をするおそれのある児童を入院させ,教護することを目的とし児童福祉法(1947公布,97一部改正)に基づいて設置される。1900年公布の感化法に基づいて感化院が逐次設置され,1934年少年教護院となり,児童福祉法制定後は教護院と呼ばれていたが,97年の同法一部改正にともなって,児童自立支援施設と改称することとなった。 武蔵野学院は1917年国立感化院令に基づき,当時唯一の国立感化院として埼玉県浦和市郊外に開設された。…
※「感化院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加