慶松勝左衛門(読み)けいまつしょうざえもん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「慶松勝左衛門」の意味・わかりやすい解説

慶松勝左衛門
けいまつしょうざえもん
(1876―1954)

薬学者。京都生まれ。東京大学薬学科出身。薬学博士。内務省技師を経て、日露戦争後の1908年(明治41)満州(中国東北部)の衛生改善、資源開発のため満鉄中央試験所長となり、ベルリン工科大学教授ホルデDavid Holde (1864―1938)に製油法を学び、大豆油工業をおこす。有機ヒ素剤サルバルサン工業化を図り、またドイツから装置を導入して撫順(ぶじゅん)炭、頁岩(けつがん)の低温乾留研究に没頭した。液体燃料工業の先駆である。1922年(大正11)東大教授に就任し、薬品製造学講座の体系を確立し、東大薬学振興会の設立に尽力した。日本薬学会会頭、貴族院議員参議院議員などを歴任著書に『製薬化学図譜』(1927)ほかがある。

[根本曽代子]

『根本曽代子編『慶松勝左衛門伝』(1974・広川書店)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「慶松勝左衛門」の解説

慶松 勝左衛門
ケイマツ ショウザエモン


専攻分野
有機合成化学

肩書
参院議員(日本自由党),日本薬剤師協会会長

旧名・旧姓
旧名=勝太郎

生年月日
明治9年9月21日

出生地
京都府京都市

学歴
東京帝大医科大学薬学科〔明治34年〕卒

学位
薬学博士

経歴
東京帝大医科大学助手、東京衛生試験所技師、関東都督府中央試験所長、満鉄中央試験所長を経て、大正11年東京帝大薬学科教授となり、薬品製造学講座を担当した。戦争中は医薬品統制社長、戦後は昭和21年に貴院議員に勅選され、22年の参院選挙では全国区から当選し1期。日本薬剤師協会会長を務めた。在満中は大豆製油試験工場を建設、溶媒製油工業の端緒を開拓、また撫順炭、油頁岩の低温乾留研究では液体燃料工業の道を拓いた。サルバルサンの国産化にも成功をおさめる。

没年月日
昭和29年1月28日

家族
長男=慶松 一郎(厚生省初代薬務局長)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「慶松勝左衛門」の解説

慶松 勝左衛門
ケイマツ ショウザエモン

明治〜昭和期の薬学者 日本薬剤師協会会長;参院議員(日本自由党)。



生年
明治9年9月21日(1876年)

没年
昭和29(1954)年1月28日

出生地
京都府京都市

旧姓(旧名)
慶松 勝太郎

学歴〔年〕
東京帝大医科大学薬学科〔明治34年〕卒

学位〔年〕
薬学博士

経歴
東京帝大医科大学助手、東京衛生試験所技師、関東都督府中央試験所長、満鉄中央試験所長を経て、大正11年東京帝大薬学科教授となり、薬品製造学講座を担当した。戦争中は医薬品統制社長、戦後は昭和21年に貴院議員に勅選され、22年の参院選挙では全国区から当選し1期。日本薬剤師協会会長を務めた。在満中は大豆製油試験工場を建設、溶媒製油工業の端緒を開拓、また撫順炭、油頁岩の低温乾留研究では液体燃料工業の道を拓いた。サルバルサンの国産化にも成功をおさめる。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「慶松勝左衛門」の解説

慶松勝左衛門 けいまつ-しょうざえもん

1876-1954 明治-昭和時代の薬学者。
明治9年9月21日生まれ。満鉄中央試験所長をへて,大正11年東京帝大教授。大豆製油法,石炭の低温乾留,サルバルサンの工業化などの研究で知られる。のち日本薬学会会頭,参議院議員などをつとめた。昭和29年1月28日死去。77歳。京都出身。東京帝大卒。著作に「製薬化学図譜」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「慶松勝左衛門」の解説

慶松 勝左衛門 (けいまつ かつざえもん)

生年月日:1876年9月21日
明治時代-昭和時代の薬学者。日本薬剤師協会会長;参議院議員
1954年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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