日本大百科全書(ニッポニカ)「戦略防衛構想」の解説
戦略防衛構想
せんりゃくぼうえいこうそう
Strategic Defense Initiative
冷戦時代末期に、ソ連からアメリカ本土に対して発射されたICBM(大陸間弾道ミサイル)を、宇宙に配備された兵器により撃墜することを目的としたアメリカの防衛体系。略称SDI。1983年3月23日、全米に向けての国防についてのテレビ演説でレーガン米大統領が初めてこの体系の開発を明らかにし、「スターウォーズ」演説として反響を巻き起こした。当初はBMD(弾道ミサイル防衛)とか「ハイ・フロンティア」計画とよばれたこの計画は1984年に正式に開始され、やがてSDIという呼称に定着した。SDIが従来の弾道ミサイル防衛体系と大きく異なる点は、(1)非核兵器による核兵器の制圧、(2)防御力による攻撃力の中和(あるいは無効化)にあり、米ソ両国間に核戦争抑止力として働いてきたMAD(相互確証破壊)戦略を否定し、核兵器を絶対兵器の座から引きずり落とすことになる画期的な防衛体系といえた。
SDIの基本的な構想は、飛翔(ひしょう)中のICBMを(1)加速、上昇の段階、(2)複数弾頭が軌道にのる段階、(3)宇宙空間飛翔中の段階、(4)終末段階の4段階に分けて攻撃するという層状防衛(レイヤード・ディフェンス)である。ICBMの合計飛翔時間は最大約30分、最大速度は秒速7キロメートル、これを99.9%の確率で撃墜するのがねらいであり、レール・ガン(電磁波砲)衛星、レーザー衛星、粒子ビーム衛星などから攻撃を開始するという構想であった。さらにレーザー光や粒子ビームを反射して攻撃するミラー衛星、小型非核ロケット弾1万発を連続発射する「スウォーム」システム、ASAT(エーサット、衛星攻撃)兵器や衛星防衛衛星など、さまざまな計画が進められていた。しかし1980年代後半になると、ソ連のミサイルによる全面的なアメリカ攻撃の可能性は著しく減少し、1989年にはSDI予算が減額された。冷戦終結後、G・H・W・ブッシュ政権は湾岸戦争中に「限定攻撃に対するグローバル防衛」(GPALS)構想を発表した。この構想ではSDIの目玉であった宇宙兵器とよばれる、レーザーや粒子ビームを用いた指向性エネルギー兵器(DEW)は計画外となり、ミサイルは運動エネルギー兵器(KEW)で迎撃することになった。さらにクリントン政権発足後の1993年5月、アスピン国防長官はTMD(戦域ミサイル防衛)を優先する方針を表明し、NMD(国家ミサイル防衛)は研究段階にとどめられるようになった。宇宙配備の兵器は研究対象外となり、国防長官直属の「SDI機構」(SDIO)も「弾道ミサイル防衛機構」(BMDO)へと変更され、SDIは終了した(BMDOは、ミサイル防衛局=MDAに改編)。
[大谷内一夫]
『斎藤直樹著『戦略防衛構想――ミサイル防衛論争を振り返って』(1992・慶応通信)』▽『小都元著『ミサイル防衛の基礎知識』(2002・新紀元社)』▽『坂上芳洋著『世界のミサイル防衛』(2003・アリアドネ企画、三修社発売)』