日本大百科全書(ニッポニカ) 「手形・足形石」の意味・わかりやすい解説
手形・足形石
てがたあしがたいし
人の手形や足跡に似た中央にくぼみのある石。神霊の来臨や影向(ようごう)を伝えたもので、神のほか英雄・貴人の手形・足跡の伝説を備えている。長野県下伊那(しもいな)郡神稲(くましろ)村佐原(現豊丘(とよおか)村)の御手形(みてがた)神社の手形石の由来は、神代に建御名方(たけみなかた)神が武甕槌(たけみかづち)神に降伏して石に右手をついて帰順を表したときのものと伝える。この石の破片を御守りにすると明神の加護があるという。長野県諏訪(すわ)市中州には、弘法(こうぼう)大師回国の際に手をついた跡という伝説の石があるが、土地の明神様が追われた際に当地から出ないと誓って石に捺(お)し付けた手形とも伝えている。長野県上水内(かみみのち)郡柵(しがらみ)村(現長野市戸隠(とがくし)祖山)の矢本神社の縁起に、平維茂(これもち)将軍が鬼女に矢を射るときに、大石にふんばった跡が社(やしろ)になったと伝え、矢の落ちた所に矢本八幡(はちまん)が祀(まつ)ってある。長野県下高井郡中野町(現中野市)の常楽寺には弁慶の足跡石があって、水が湧出(ゆうしゅつ)している。そのほか、神社には権現(ごんげん)や明神の足跡石というのが多く、いずれもその神社の祭神の影向を伝えるもので、柵(さく)などをして一般人の立ち入りを禁止している。弁慶石や朝比奈(あさひな)三郎の足跡という巨人の大力を説明した類の話が、規模が大きくなると巨人伝説になり、ダイタラボッチ(巨人の法師)の足跡が池になったというのもある。仏足石など釈迦(しゃか)の足跡を伝えるものも同系の類といえる。東南アジアなどではスリパダといって、仏の足跡石は広く信仰されている。
[渡邊昭五]