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押坂彦人大兄皇子 おしさかのひこひとのおおえのおうじ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

押坂彦人大兄皇子 おしさかのひこひとのおおえのおうじ

?-? 飛鳥(あすか)時代,敏達(びだつ)天皇の第1皇子。
異母妹糠手姫(ぬかてひめの)皇女との間に舒明(じょめい)天皇をもうけた。用明天皇没後,有力な皇位継承者として,物部(もののべ)氏らに擁立されたらしいが,その後のことは不明。別名に麻呂子皇子

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

押坂彦人大兄皇子

生年:生没年不詳
6世紀後半ごろの有力王族。敏達天皇の子。田村皇子(のちの舒明天皇)の父。天智,天武両天皇の祖父に当たるので,のちに「皇祖大兄」と呼ばれた。大和国広瀬郡城戸郷(奈良県広陵町)にあったと思われる水派宮に住んだ。母広姫(息長真手王の娘)が,実家の息長氏の経営する忍坂宮(桜井市)に住み,皇子も幼少年期をここでおくった関係から,同宮に奉仕する服属集団,忍坂部(刑部)を相続したらしい。用明2(587)年,天皇が病に倒れ,次期大王の選定が始まると,皇子は異母兄弟竹田皇子と共に,有力な王位継承候補として注目された。用明死後の物部守屋追討戦争ではその動静が不明であり,この混乱の渦中,蘇我馬子の指令で暗殺されたとする説もある。『延喜式』は,その墓を広瀬郡の成相墓としているが,馬見古墳群中,全長17mの横穴式石室を持つ,径約60mの大形円墳,牧野古墳(奈良県広陵町)に比定する説が有力である。<参考文献>薗田香融『日本古代財政史の研究』

(遠山美都男)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

おしさかのひこひとのおおえのみこ【押坂彦人大兄皇子】

敏達天皇の第1皇子で,麻呂子(まろこ)皇子ともいう。その別名忍坂日子人太子の太子は追号。生没年不詳。母は息長真手(おきながのまて)王の女広姫。皇子は異母妹糠手姫(あらてひめ)皇女(母は伊勢の大鹿小熊(おおがのおぐま)の女菟名子(うなこ))と結婚し,舒明天皇をもうけた。また別の妃に異母妹小墾田(おはりだ)皇女がおり,その母推古天皇との関係も深かった。用明天皇の没後,皇子は皇位継承の最有力候補の一人として,物部守屋・中臣勝海(なかとみのかつみ)と蘇我馬子との争いの渦中にあった。

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