岸上村(読み)きしのうえむら

日本歴史地名大系 「岸上村」の解説

岸上村
きしのうえむら

[現在地名]満濃町岸上

真野まの村の西、金倉かなくら川右岸の低地左岸台地支流椿谷つばきだに川沿いの谷地と南部の丘陵地帯に位置する。西と南を接する買田かいた(現仲南町)との境界付近は古墳が多かった所で、椿谷に後期の巨石古墳一基が残る。東山ひがしやま峠を越える阿波・金毘羅街道が通過し、その村内延長一千八〇間。久保くぼうから三頭さんとう越を利用する阿波・金毘羅街道の四条しじようまでの道路が三〇〇間。真野村から阿波・金毘羅街道までの満濃池道四五〇間の合計一千八三〇間の道路の維持管理が、高松藩から課せられた公事普請であった(享和三年「岸上村池々御改揺木建木仕別帳」松浦文書)。天文一四年(一五四五)七月吉日の道者職売券(来田文書)に「岸の上の里一円」がみえる。寛永国絵図ではしちヶ村に属した。寛永一八年(一六四一)の満濃池水掛高帳(鎌田博物館蔵)には「五百石 岸上村」とある。


岸上村
きしかみむら

[現在地名]橋本市岸上

紀ノ川の北岸、大和街道沿いにあり、西は神野々このの村。「続風土記」は「幾志乃宇遍」の訓注を付する。建久三年(一一九二)七月二七日付の本家下文案(又続宝簡集)に高野山領官省符庄の「河北方長栖大野山田村主川辺岸上」とある「岸上」は、当地と考えられる。この文書のうち「村主」は「和名抄」の村主すぐり郷に比定され、岸上村付近も村主郷の内であったと考えられている。

慶長検地高目録には村高三九三石余、小物成三・六四四石。江戸時代初期は禿組に属し、延宝五年(一六七七)の禿組指出帳控(大畑家文書)には「岸之上村」とみえ、村高三九九石余、家数五九(本役二七・半役一七など)、人数四二〇、牛二五、馬四。


岸上村
きしのうえむら

[現在地名]高鍋町持田もちだ

持田村の南、小丸おまる川下流左岸の沖積低地にあり、西は上江うわえ村。小丸川の河岸であるところから岸上村と称し、北部の一部は洪積台地となっている。日向国覚書にはキシカミと訓が付される。寛文四年(一六六四)の高鍋藩領知目録写(高鍋町歴史総合資料館蔵)に村名がみえる。同年の高鍋藩領地覚(隈江家記)には岸ノ上村とあり、高五六七石余。以後村高に変化はないが、旧高旧領取調帳では持田村の高に含まれている。


岸上村
きしかみむら

[現在地名]中町岸上

間子まこう村の西、杉原すぎはら川東岸に位置する。慶長八年(一六〇三)の池田輝政知行方目録(鳥取県立博物館蔵)によれば、岸上村内二〇〇石など計三〇〇石を不破四郎右衛門に宛行っている。慶長国絵図に「高田村」と記載されるのが当村と思われる。正保郷帳では田方三五六石余・畑方一七七石余、幕府領

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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