指南車①〈和漢三才図会〉" />( 1 )「書紀‐斉明四年一一月」には「沙門智踰造指南車」とあり、「指南車」は、北野本訓では「指去南上ノ車を」とあって、「シナムノくるま」と訓んでいたことが知られる。
( 2 )磁石の指極性を初めて問題にしたのは、後漢の王充「論衡」とされる。日本では磁石は北を指すというが、古く中国では南を基準にする習慣があったため、「指北」ではなく「指南」となった。
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
古代中国でつくられた方向を指し示す車。その発明については、中国の伝説上の人物である黄帝が蚩尤(しゆう)を攻めた際、彼の軍隊が霧の中で方向を見失ったが、黄帝が指南車をつくって方角を知り、蚩尤を滅ぼした、と伝える。左右2輪の車の上に、その両輪に連動するようにつくられた数個の歯車を入れた箱がのせられ、さらに歯車箱に連結する垂直な軸上に木製の人形が置かれた。最初、人形に南をささせておくと、以降は車の進行方向が変わっても、歯車の仕掛けによって人形はつねに南をさし続けるようになっており、磁石などは利用していない。漢(かん)の張衡(ちょうこう)や三国時代の馬鈞(ばきん)らも製作したとされ、祖沖之(そちゅうし)は木製から銅製に改めた。『宋史(そうし)』の「輿服志」(1027)には指南車の記事がある。
指南車が南をさして人を導いたことから、指南の語は、手引き・案内の意となり、さらに技芸を指導・教授する人を指南番・指南役などというようになった。
[内田 謙]
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