日本大百科全書(ニッポニカ) 「撮影監督」の意味・わかりやすい解説
撮影監督
さつえいかんとく
director of photography
映画撮影技術を通して、監督の構想や脚本内容をフィルム上に映像化する映像技術部門の最高責任者。カメラを操る撮影作業はもとより、照明や色彩、特殊効果、現像など、撮影にかかわる作業全般を統括する。アメリカでは映画製作の初期に、撮影担当者は単にカメラを回すだけだったのでカメラマンとよばれていたが、照明技術の発達とともに、ライティング・カメラマンlighting cameramanという呼称に変わり、ついで芸術家であるという認識が浸透するにつれ、写真カメラマンphotographerと区別する必要もあって、シネマトグラファーcinematographerという職名が流通するようになった。さらにトーキー以降、映画技術が複雑化し、複数のカメラによる撮影も珍しくなくなったことで、いまでは撮影監督とよぶのが一般的となっている。また、ファースト・カメラマン、セカンド・カメラマンという用語が使われる場合があるが、前者は撮影監督、後者はカメラを操作するオペレーターをさす。
世界映画史上、重要な功績を残した撮影監督としては、アメリカ映画草創期に撮影技術の基礎を開拓したビリー・ビッツァーBilly Bitzer(1972―1944)をはじめ、ドイツ映画黄金期のカール・フロイントKarl Freund(1890―1969)、ハリウッド黄金期のグレッグ・トーランドGregg Toland(1904―1948)やジェイムズ・ウォン・ハウJames Wong Howe(1899―1976)、レオン・シャムロイLeon Shamroy(1901―1974)、ヌーべル・バーグ映画を支えたラウール・クタールRaoul Coutard(1924―2016)、アンリ・ドカエHenri Docaë(1915―1987)、ネストール・アルメンドロスNestor Almendros(1930―1992)、戦後イタリア映画のビットリオ・ストラーロVittorio Straro(1940― )、ベルイマン映画で有名なスベン・ニクビストSven Nykvist(1922―2006)、1960年代以降のアメリカ映画を代表するハスケル・ウェクスラーHaskell Wexler(1922―2015)、スイス映画で活躍したレナート・ベルタRenato Berta(1945― )らがいる。日本でも、戦前の記録映画界を支えた白井茂(しらいしげる)(1899―1984)、日本映画黄金期に活躍した宮川一夫(みやかわかずお)(1908―1999)や中井朝一(なかいあさかず)(1901―1988)、厚田雄春(あつたゆうはる)(1905―1992)、独立プロダクション映画を牽引(けんいん)した宮島義勇(みやじまよしお)(1909―1998)らが大きな足跡を残している。
[奥村 賢 2022年6月22日]