支謙(読み)しけん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「支謙」の意味・わかりやすい解説

支謙
しけん
(195ころ―254ころ)

中国、三国時代の呉(ご)国で活躍した訳経家。生涯を在俗のまま過ごした。大月氏(だいげっし)からの帰化人の子孫で、そのためもあってか語学の才に秀で、多くの西域(さいいき)語に精通していたという。呉王孫権(そんけん)は彼の博学と才能を信服し、博士に任じた。多数の仏典を翻訳したなかでとくに有名なものは『法句経(ほっくきょう)』『維摩詰経(ゆいまきつきょう)』『大明度無極経(たいみょうどむごくきょう)』『阿弥陀経(あみだきょう)』『瑞応本起経(ずいおうほんぎきょう)』などである。内容的には大乗、部派仏教の仏典が入り交じっている。訳語には音訳語を避けて義訳語を多用した。文体は四六(しろく)文を取り入れ、流麗であった。

[岡部和雄 2017年2月16日]

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改訂新版 世界大百科事典 「支謙」の意味・わかりやすい解説

支謙 (しけん)
Zhī qiān
生没年:195?-254

中国,三国呉の在俗の訳経家。大月氏の帰化人で,字は恭明あるいは越。洛陽で西域諸語を学び,6ヵ国語に通暁した。後漢末の動乱を避けて江南に逃れ,呉の孫権の信任を得た。《維摩詰経》《阿弥陀経》《法句経》《太子瑞応本起経》など49経を漢訳した。訳出した般若部経典は,仏教と玄学との結びつきをうながし,仏陀の一代記の訳出は仏陀の徳行を賛仰させ,仏教の庶民化に貢献した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「支謙」の意味・わかりやすい解説

支謙
しけん
Zhi-qian

[生]196頃
[没]五鳳2(255)頃
中国,三国,呉の訳経家。中央アジア大月氏国の人で,のち祖父法度とともに漢に帰化した。支亮の弟子学問に精通し,6ヵ国語をよくしたと伝えられる。後漢の末に呉国に来て博士となり,呉王孫権の皇太子養育にあたった。黄武2 (223) 年から建興2 (253) 年までに『維摩詰経』『大明度経』『瑞応本起経』などを訳出。現在 53部の経典が伝えられている。

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世界大百科事典(旧版)内の支謙の言及

【大無量寿経】より

…サンスクリット原典,チベット語訳,および5種の漢訳が現存する。漢訳は支婁迦讖(しるかせん)訳(漢訳),支謙訳(呉訳),康僧鎧(こうそうがい)訳(魏訳),菩提流支(ぼだいるし)訳(唐訳),法賢訳(宋訳)であるが,前3訳に関しては訳者に疑問がもたれている。一般に用いられるのは魏訳である。…

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