政尾藤吉(読み)まさおとうきち

改訂新版 世界大百科事典 「政尾藤吉」の意味・わかりやすい解説

政尾藤吉 (まさおとうきち)
生没年:1870-1921(明治3-大正10)

法律家。19世紀末,欧米列強のアジア植民地化に対抗して,アジアの連帯とりわけタイ(当時はシャム)の独立維持を図るため,初代駐タイ公使稲垣満次郎はタイ政府内に日本人顧問を送り込もうとし,1897年東京の《ジャパン・タイムズ》の主筆代理,政尾藤吉をタイに送り,近代法典編纂委員会に加わらせた。アメリカのイェール大学法学を学んだ政尾は,タイの刑法民法商法起草を担当し,1901年には大臣相当の司法省顧問の地位を得,12年にはプラヤー・マヒトーンマヌーパコーンコーソンクンの爵位と欽賜名を授与され,翌年帰国した。20年に駐タイ公使となって赴任したが,翌年バンコクで脳溢血のため死亡。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「政尾藤吉」の解説

政尾藤吉 まさお-とうきち

1871*-1921 明治-大正時代の法律家,外交官,政治家
明治3年11月17日生まれ。渡米してエール大などで法学をまなぶ。明治30年外務省からシャム(タイ)に派遣され,のち同国の法律顧問として刑法・民法・商法を起草。大正4年衆議院議員(当選2回,政友会)。大正10年8月11日死去。52歳。伊予(いよ)(愛媛県)出身。東京専門学校(現早大)卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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