日本歴史地名大系 「教法寺」の解説 教法寺きようほうじ 長崎県:佐世保市佐世保村教法寺[現在地名]佐世保市元町佐世保川右岸にある。大智山と号し、浄土真宗本願寺派。本尊は阿弥陀如来。延徳二年(一四九〇)恵教の開基で瀬戸越の大智庵(せとごえのだいちあん)城の麓に創建したのが始まりと伝える(寺院明細帳)。古くは天台宗寺院であったという。明応七年(一四九八)大智庵城主の松浦政が平戸松浦興信に攻められて戦死、当寺も城とともに焼失したという。永正三年(一五〇六)頃現在地に再建されたとされる(佐世保市史)。寛永一〇年(一六三三)京都西本願寺から寺号の免許を受け、寛文六年(一六六六)平戸光明(こうみよう)寺末となる。寛政元年(一七八九)佐世保浦の出火で本堂などを類焼、しばらくは無住であったという(佐世保発達史)。 教法寺きようほうじ 山口県:厚狭郡楠町西吉部村教法寺[現在地名]楠町大字西吉部 河中所万倉(まぐら)盆地から今富(いまどみ)川を北にさかのぼった河中所(かわなかしよ)の梅(うめ)ノ木(き)にある。浄土真宗本願寺派で感応山と号し、本尊は阿弥陀如来。「注進案」によれば、守護大内教弘のとき紀舎人という牢人がこの地を訪れ、田畠三〇町余の川開作をなし百姓二〇余を取り立てた。 教法寺きようほうじ 山口県:下関市赤間関赤間町教法寺[現在地名]下関市赤間町紅石(べにいし)山の西方にある。浄土真宗本願寺派で光国山と号し、本尊は阿弥陀如来。寺伝によれば元応年間(一三一九―二一)教法房浄信の創建という。慶長六年(一六〇一)八月、二世の正誓が本山から寺号を許可された。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by