しき‐うら【敷浦】
- 〘 名詞 〙 江戸時代、特定の魚問屋から漁業仕入金の前借を受け、所定の漁獲物をすべてその問屋に販売する契約を結んでいる浦をいう。
- [初出の実例]「敷浦の儀御尋に付申上候」(出典:日本橋魚市場沿革紀要(1890))
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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敷浦
しきうら
[現在地名]田辺市湊 磯間
湊村の小名で(続風土記)、同村の南部に位置し、北西は湊村の浜に続き、南も海に臨む半農半漁の浜方。黒潮の余流上り潮を自然的条件とした近海漁業が盛んであった。建久二年(一一九一)に漁浦が成立したという伝承があるが不詳。しかし漁労具の資料が当地の東端にある磯間岩陰遺跡から出土しているので、弥生・古墳時代にも漁労に適した地であったと思われる。
慶長六年(一六〇一)の「田辺村之内小泉敷両村御検地帳」(享保六年写、田所文書)があり、天保郷帳には「湊村枝郷敷村」として村高一二二石とある。加子役を課せられており、慶長一六年の加太浦より錦浦迄加子米究帳(栗本家蔵)によれば加子役数四〇人(代納升高四八石)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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敷浦 (しきうら)
魚問屋から漁業経営の仕入金を前借りし,その代り漁獲物はその魚問屋に売り渡す契約をしている漁村を,その魚問屋の敷浦,仕入浜(しいれはま),持浜(もちはま)などといった。漁業経営においては早くから漁網など大規模な漁具を使用するものが少なくなく,多額の仕入金を必要とするものが多かった。それに年々の豊漁不漁の差が大きく,仕入金を自己資金でまかないきれない場合が発生しやすかった。他方,魚問屋の方でも業者相互間の漁獲物獲得競争のなかで,できるだけ安い魚を安定的に確保していく必要から,仕入金の前貸しを考えざるをえない場合が少なくなかった。そこで仕入金の前借りと漁獲物を安く売り渡すという魚問屋仕込制度が江戸時代中期から広くみられるようになり,幕末から明治期には全国的に一般化していた。
執筆者:二野瓶 徳夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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